またね
ふと、目を覚ました。恐らく夜遅いのだろう、僕の手を握ったまま、目を腫らした兄が横で寝落ちていた。
目を閉じれば、最後の記憶が鮮明に蘇る。兄と並んで歩いた、見慣れたようでいて知らない、随分と変わり果てた灰色の街。
千切れた人や動物、赤黒くおびただしい血液、所々に昇る黒煙に、遠くで響くサイレンの音。僕は、そこで死んだはずだった。
我儘を言って兄と出掛けた、つい先程のようにも感じる遠い記憶が締め付ける。最後まで「ほんとに行くのかよ……」なんて全然乗り気じゃなさそうで、……でも、起きて、準備して、他愛ない言葉を交わしながら、隣を歩いてくれた。普段の休日なんて、僕が叩き起こさなければお昼過ぎまで寝ている癖に。
ふと、割れた鏡の破片が目に入った。そこに映る自分は酷く傷だらけで、暗闇に赤い瞳がよく目立っていた。
悪魔の、色。何故だかは分からないが、僕はこの世界において「悪魔」と呼ばれる存在に変わったようだった。そして恐らく、それによって魔力の籠っていない物理攻撃を食らった所が多少再生したのだろう。故にこうして、辛うじて生命活動を再開出来た……とはいえ、内臓も殆ど機能していないこの傷では、本当に一瞬の命でしかないのだろうが。
「……怜」
「! 兄さん……?」
「玲、ごめん……ごめんなさい……、れい……」
「……」
僕がいなくても、きっと大丈夫だと思った。だから、大好きな兄に生きて欲しかった。それなのに眠ったまま、僕の名を呼んで涙を流す姿は痛々しくて、くるしくて、申し訳なかった。大好きな人を、傷付けてしまった。
周りから見て、少なくとも彼は良い兄、ではなかっただろう。それでも、僕からしたら優しい兄だった。
深夜、バレないように二人で抜け出して、コンビニでアイスを買って食べたのが本当に楽しかった。
兄が淹れた紅茶が好きだった。僕も飲みたい、と言えば文句を言う癖に、苦いのが嫌いな僕の為だけに、ミルクを入れて用意してくれた。
小さい頃、僕に文字を教えてくれたのは兄だった。怜は天才だね、と笑ってくれたでしょう?
何気無い言い争いが楽しかった。不機嫌そうなその顔がふと小さく綻ぶ、それが嬉しかった。
一緒に出かけた時にどこに行きたいか聞いてくれたのは兄さんだけだった、誕生日に参考書以外のプレゼントをくれたのも兄さんだけだった、たった百円程度のキーホルダーだ、って言ってたけど、小さなガラス製の猫は、あの日からずっと宝物です。だから、お揃いのキーホルダーを誕生日に贈るはず、だった。結局渡せなかったけど。
「……、あれ」
ふと、地面に落ちている兄の携帯が目に入った。渡せなかったそれは、どうやら、ちゃんと届いたらしい。
思わず頬が緩んでしまった、貴方は僕に何度も「嫌いだ」って言うのに、僕は勝手に貴方に愛されてると思えてしまえた。兄さんはずっと、変わらず優しかった。……こんなに大好きなのに、生きていてくれて嬉しいのに、それでもどうして自分を犠牲にしてまで庇ってしまったんだろう、なんてよぎる僕なんかより、きっとずっと優しかった。
死にたくない。まだやりたいことが沢山あるのに、まだ全然遊び足りないのに、なのに、半端に治った僕の身体から溢れる血液は、どうにも止まってくれそうにない。
僕は、貴方が想像するほど出来た人間じゃない。少し勉強が出来ただけです。
僕は、完璧ないい子なんかじゃない。嫌だと言える勇気がなかっただけの、“都合の”いい子でしかない。それでももし、もしも本当に優しく、完璧に見えたのなら、それは。
……それは、きっと、僕が貴方のこと、本当に大好きだから。
兄さん。遊びに行く時に僕を見て開口一番「ダッッッッサ」とか言いやがったのは死んでも忘れてやりませんけど、流行りの服とか、上手なサボり方とか、もしまた会えたのなら、全部全部教えて欲しいです。教科書とか参考書には乗ってないこと、全部。
……兄さん。きっと覚えてはいられないけど、ずっとそばにいます。約束です、絶対に会いに行きます。だから、そのときは。
「そのときは、また、……あそんで、兄さん……」