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福音

 倒れた電柱、崩れた家屋、折れて朽ちた木々。辺りに転がった死体が、赤い液体が、まるで世界に終焉でも訪れた後かのような雰囲気を醸し出していた。周辺に集まる、野次馬とメディアのマスコミ以外は。

「現段階では、まだ生存者は確認されておらず​──」

 そう報じるアナウンサーの声が、雑音でかき消されていく。家族や友人を失ったのであろう悲鳴、嗚咽。戸惑った人々の動揺の声に、「自分は被害を受けなくて良かった」とでも言うかのような安堵の声。「次もあるかもしれない」と不安げな声。突如としてこの街を襲った大災害は、恐らく全世界を混乱の渦に叩き落としたことだろう。

「​──繰り返し申し上げます、原因不明の災害により​、」
「神が、お怒りになられたのだ」

 その声が聞こえた瞬間、ブツリと電源が切れたかのように、世界から雑音が消えた。
 コツ、コツ、と靴の音が響く。純白の長い髪。白い無地の布に金色で装飾の施された服、水色の耳飾りは、赤黒く染まった街並みに、随分と目立って見えた。

「神は失望したのだ、堕落した人間に。洪水を起こされた、歴史に残るあの日のように。となれば、この凄惨な街並みさえも、偉大なる神の御慈悲であろう?」

 暫く続いた静寂が、「……教祖、……ノエル、様?」という一人の声で崩された。その声を合図にしたかのように、人々のどよめきの声が広がる。

「……彼らが、安らかに、神のみもとに帰られますよう。しかし、貴方がた。神はもう一度、貴方がた人間にチャンスを与えてくださったのだ。その昔ノアと交わした約束事を、慈悲深き神は破りはしなかった」

 ノエル、と呼ばれたその男が、長い髪を揺らして人混みの正面に立つ。閉じた瞳で、こちらを見つめた。辺りにまた、唾を飲む音すら聞こえる程の静けさが戻る。

「嗚呼、まさか再びこの地へ足を付けることになろうとは。しかしこれもまた神のお望みであり、この世界に与えられた愛なのでしょう。この奇跡も、全てはあの御方の決めた運命」

 丁寧に、軽く礼をして、ノエルが微笑んだ。

「お久しぶりです、いいえ、初めまして、皆様方。これだけの年月が経った今、未だ記憶に留めて頂けているようで良かった。私はノエル。ノエル・ヴァレンツァ。教祖として、今一度、この世界に​──」

「​──福音を」

@2025 ヰ嚢

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