鳥籠
柔らかい、純白の翼が頬をくすぐる。
透き通るような落ち着いた声色は、それでもどこか楽しそうにほんの少しの抑揚を見せた。
わたしにだけ向ける表情で、わたしだけの特別なあだ名で、愛おしい彼はわたしを呼んだ。
「ルスト」
その声を、その笑顔を、未だ覚えている。
✧✧✧✧✧✧
「虚構様」
柔らかく、それでいて無機質な声が、わたしの称号を紡ぐ。
声の方を見遣れば、見慣れた姿。殆どは純白で揃えられたその容姿に、絢爛豪華な金色の装飾。胸元とリボンの先端に飾られた水色の宝石は、眩い光を反射してキラキラと輝いていた。けがれのない眩い白金色の、足元よりも長い髪は、ふわふわと浮かんでゆるいウェーブを描きながら先端が地面につかない程度の位置に調整されている。同色の長い睫毛から覗く白の瞳が、真っ直ぐに此方を見つめていた。
「……なに、ヴァルノエル」
「何、って……何かここに用でもあるの? さっきも伝えた通り、私の身体にまだ異常はないよ。特に被害もないはずでしょ?」
「そう。……触れてもいいか。確認させて」
そう言うと、いいよ、と少しだけ手を広げた彼が、どんな些細な感情すらも読ませないような笑顔で小さく首を傾げる。
「……どこかおかしかった? ふふ、君から触れてくるなんて珍しいね」
そっと目を閉じて、大人しく体を委ねる最愛のひと。彼の言葉を、伸ばした手を拒んだあの日、わたしに関連する記憶を捨てた彼は、もう二度とあの日のように柔らかく笑いかけてはくれないのだろう。
そんなことは分かっていて、それでもずっと、……ずっと、何よりも愛おしいと思ってしまう。故に信じたくなどなかった、ここで今、こうして普通に会話する彼が、災厄だなんて。
こんなにすきなのに。だいすきなのに、生きていて欲しいと何より願うのに、全てを敵に回したおまえを、わたしは、守ってあげられない。……違うな。殺すんだ。わたしが。
「……。どうかしたの、虚構様。様子がおかしいみたいだけど」
気付けば、彼はしっかりこちらを見据えていて、そしてほんの少し不思議そうに、わたしの手を取った。取られたその手を液状に戻して、彼の手をふりほどいて「別に」と返す。おまえ一人生きていてくれればいい、なんて、バレてしまえばわたしも彼も一緒に処分されてしまいそうな、そんな内心を悟られないように。名残惜しさを殺して、握り返したい気持ちを消して、第一位として、冷たくしないと。
そんなわたしに、彼はいつも通り「そっか」とひとこと微笑んだ。
……いつも通り。そう、いつも通り、なのに。
今日は、何故か、いつにも、増して。
「……大丈夫だよ」
「!」
柔らかい手が頬を撫でて、こちらを見上げる彼が、クスリと微笑んだ。
「どうして、そんなに泣きそうな顔をするの?嫌なことでもあったのかな」
「……、……おまえには、関係の無いことだ」
「それなら、どうして今日は、いつまでも私の近くにいようとするの?」
どうして、と続く彼のいつも通りの幼気な好奇心に、咄嗟に続く言葉が思い浮かばずに沈黙を返してしまう。
「……ふふ、冗談だよ。君が私の監視のためにここに来てる事は知ってる、君の気が済むまで見張っていていいよ」
「……、」
くるりと背を向けて、彼がふわりと上昇する。どこか楽しげに、どこか退屈そうに、宙を揺蕩うその姿を、ただ見つめていた。
──今日は。
いつにも増して、彼の表情が読めない。
いつにも増して、彼の声に抑揚がない。
そばにいると、ほんの少し空気がピリつくような気がする。
何故か、なんて言ってみたって、それが何を意味するのかは、とうに理解しているはずだった。
それでも、まだ、もう少しだけ。あと少しだけ、彼の「大丈夫」を信じていたい。だって、わたしの鳥籠で踊る純白の鴉は、未だ天使そのもののようだったから。
生きていて欲しい。その為には、わたしの管理下に置いておくことの合理性を示さないといけない。彼の生が、ただのわたしの欲望とバレてはいけない、だから、この気持ちは殺さないといけないのに。
「ヴァルノエル」
「なあに?」
『その他大勢』と同じ彼の話し方が苦しくて、その甘くてどこか自信に満ちた声色が、優しく余裕気に微笑んだ表情が、締め付けるほどに愛おしかった。
笑いかけて欲しくなかった。あの頃のように純真な愛を向けて欲しくなかった。だから忘れて欲しいと願った、否定し続ける自信が無いから。
おまえを拒んで突き放したのは、臆病なわたしの自己中心的な我儘だ。それなのに、その癖に、監視のため、その言葉を否定したかった。
愛してると伝えたかった。人間の言うような恋とか、きっとそんなものでは無いけれど、もし叶うのなら、ずっと隣で、ルノと。
そんな事はきっと許されはしないから、せめてこうして振り向いて、返事をしてくれるうちは、問題はないと言わせて欲しい。どうかもう少しだけ、この見ないフリが許されますように。
「……なんでもない」
この鳥籠の中だけが、時間制限付きの楽園だ。