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episode:07 静寂に沈む

 地下4階へ、“ゴミ捨て場”へと直結している唯一のエレベーターを目指して、秀と二人で歩いた道を今、のあは一人で進んでいた。念のため、と言うべきか定かではないが、夜宵には反対を押し切って持っていたナイフを手渡しておいたから、少しは安心できるというものだ。

「まぁ、その代わり私は手ぶらな訳だけど……」

 よく考えたら私のが危なかったかな、なんて、そう独り言をこぼした。冷たい空気の流れるそこは記憶にあるよりもずっと、酷く薄暗く感じる。張り詰めた空気の中、ふっと、視界の端に何かが揺れたような気がしてそちらを見るも、ただそこには暗い影が落ちているだけだった。よく見れば天井や床は所々ひび割れたり穴が空いたりとボロボロで、おそらくそこから出てきたのであろうあの化け物のような姿をした悪魔の姿を思い出して身震いした。エレベーターの前へと辿り着いて、カードキーを翳して、パスワードを打ち込んだ。しかし画面に表示されたのは、単純明快、「ERROR」の五文字だった。

「なんで、合ってるはず……」

 やはりここも封鎖されているのかと、そうのあが焦りを滲ませる。と、不意に、背後から腕が伸びた。

「変えられたんだろ。貸せ」
「!?」

 物音ひとつ立てず、いつの間にか背後に立っていたその人影​──柊実尋は、そう言うとのあを軽く押し退けて、そのパネルを操作した。「勝手に人のパスワードを……」と、彼がブツブツと文句を言っているのが聞こえた。1分も経たないうちだろう、認証音が響いて、エレベーターの稼働している音が聞こえた。しばらく待てば到着を知らせる音が響いて、その重々しい扉が開かれた。先にエレベーターに乗り込んだ実尋が、開くボタンを押したままで急かすように目線を送る。

「……なんで……」

 エレベーターに乗り込んで、扉が閉まった。ゴゴ、と重たい音が響いている。のあの言葉を実尋は「どうしてパスワードが分かるのか」と捉えたのだろう。腕を組んで、視線を斜め下に逸らし、ほんの数秒押し黙って、口を開いた。軽く俯いた彼の比較的長い髪が、その表情を隠した。
 
「アイツの思い付きそうなものくらい分かるよ、双子なんだから」

 アイツとは、大司教である柊真尋のことだろう。そう言って、実尋はそっと目を閉じた。床にほんの少し付着した、まだ新しい赤色は、きっとあの時の秀のものであろう。扉が閉まる直前、あの時、のあの手を引いて前に出た秀の姿が、鮮明に脳裏に浮かんだ。のあが自身の手を固く握りしめると、それに気付いたのか、実尋が小さく息を吐いた。

「心配せずとも、死んではいないよ。アイツは死なない。こんな慣れ親しんだ場所で、死ぬはずないだろ」

 のあを安心させるためか、実尋はそう言って、丁度到着したエレベーターから降りて進んでいく。その背を、のあは追いかけた。実尋は随分慣れた様子で、靴が血で汚れることも厭わず、歩みを進める。しかしのあは、相変わらず鉄と腐敗の臭いが充満したその場所は、何度見たって、慣れそうにもなかった。「ねぇ」と、のあが少し怯えたような声で、実尋に声をかける。実尋はほんの少しだけのあの方を見下ろして、そのまま返事はせずに先に進んだ。

「ねぇ、……ねぇってば。あんた聞こえてんでしょ、こっち見たの知ってんだからね。無視?」

 当初は弱々しかった声は気付けばほんの少し苛立ちを滲ませていた。諦め悪く詰め寄るのあに、とうとう観念したらしい実尋が漸く振り向いて、はぁ、と露骨に面倒臭そうに溜息をついた。
 
「なんで着いてくんだよ」
「着いてった方が安全かなって思って」

 のあがそういえば、実尋はまた溜息をついた。そしてすぐに向きを変えて、また歩き始めた。
 ゴミ捨て場ほど強烈では無いものの、先程に比べて明らかに血痕の量が増えていた。しかし悪魔自体は落ち着いたのか、辺り一帯に物音という物音はしない。調整器の数値も、徐々に下がってきているようだった。

「あんたは、何なの? 敵なの? 味方なの? 私のこと、……なんでさっきから助けてくれるの」

 そう続けるのあの言葉に、暫く無言で返した後で、小さく実尋が口を開いた。

「敵、ではない。けど、味方になるつもりもない」

 そう言って、実尋はまた、のあに背を向けて歩き出した。カツン、カツン、と、彼の硬い靴底が足音を立てる。その音にまた、少し柔らかなのあのスニーカーの音が続いた。実尋は数歩歩んで、まだ後ろにいるのあの姿を確認するようにのあの方を見た。

「俺のそばにはいない方がいい。……やるよ。俺は要らないから」

 そう言って実尋は、小さな鍵を優しくのあの方に投げた。これ、と続けようとしたのあを制するように、実尋が続けて言葉を紡いだ。

「俺らには、異能力がある」
「そんな急に、厨二病みたいな」

 そうポロッと本音を漏らしたのあに、黙って聞いてろ、と実尋が一瞥した。そして、目線を合わせることなく、後ろののあを振り返ることすらもなく、実尋が語る。

「それは神に選ばれ具現化した願いであり、授けられた神の愛……カリタスとも呼ばれる」
「具現化した……願い?」
「ああ、そう言われてる。発現条件は明らかじゃないけどな」

 願いも、具体的にどういうものに呼応して、どういう能力が授けられるのか、それ自体は本人にすら知り得ないようだった。とはいえ、自分自身で強く願ったことであるのは確かなので、だいたい予想はつく、と彼は言ったが。
 
「俺は記憶の阻害。真尋は、認識の阻害……記憶喪失と、幻覚の症状に酷似してる。特徴は、瞳に浮かぶ光の十字だ」
「……記憶喪失と、幻覚……」

 そこまで言うと、実尋は振り返った。背の高い彼が、冷たいようでいて柔らかい、どこか寂しそうにも見える目で、のあを上から見下ろした。

「だから、この場所のことも、俺のことも、信用するな。お前の身を滅ぼすだけだよ」
「……なんで、自分でそんなこと言うの?」

 小さなのあの問いには答えず、実尋はただ、先程のあに渡した鍵を「それ」と指さした。
 
「その鍵があれば、地下2階、一番奥にある階段に続く鍵が開くはずだ。上に出れるだろ」
「ねえ、……あんたの望みは、何?」
「……別に、お前と一緒だよ。俺も、普通に生きたいだけだ。……普通に。生きたかっただけだよ」
 
 そう言うと、実尋は腰に付けたホルダーから十字の刻印が刻まれた拳銃を取り出して、銃口をのあの方へ向けた。

「え、」

 バァン、と銃声が響いて、弾はのあ​──の、真横を掠って、すぐ背後にいた悪魔を撃ち抜いた。それは小さな呻き声をあげて、赤黒い血溜まりへと変わる。はらりと、のあの髪が数本光を反射しながら地面へと落ちた。

「武器も持ってない、危機感もない。ここの状況、知ってたんじゃねぇのか? 死にに来たのかよ、お前」

 実尋はそう言ってのあに背を向けると、右手でくるりとその銃を回転させて、ホルダーにしまった。

「ご、ごめん……」

 のあがそう視線を落とせば、実尋は少し驚いたように軽く目を見開いて、のあを見下ろした。それはまるで、謝られるとは思ってもみなかった、とでもいいたげな表情だった。
 
「……。別に怒ってないよ。悪ぃ」

 そう言うとふっと実尋が目を逸らして、また歩き始めた。二人分の足音が、静かな施設の中に響いていた。

「怯えてんのか?」
「え? まぁ……そりゃ、少しはね」
「ふっ。だろうな」
「なっ、元はと言えばあんたらのせいでしょ!?」

 のあがそう苦言を呈すれば、実尋は「ははっ」と笑った。それはこんな組織の人間だとは思えないほどに、ごく自然で、普通の、どこか懐かしさすら感じるような、優しそうな笑顔だった。

「全く、可愛い私の顔に傷でも付いたら責任とってくれんの?」

 無意識だった。まるで慣れ親しんだ人を相手に話しているかのようにポロッと口から出た、普段友人に言うような台詞。しかしそれに実尋は驚くことも特になく、ただ一言「付けさせねえよ、俺が守る」と微笑んだ。

「え、……何そのイケメン発言、私の事好きなの?」
「はぁ? な訳ないだろ、俺聖職者だし。それにお前を狙うなら、そうだな」

 ぽちゃ、とどこかで、水溜まりに水滴が落ちたような、そんな音がした。

「​──例え傷が付いたって、貴方は可愛らしいですよ。とでも言うかな」

 のあが驚いたように固まった、その様を見て実尋はまた楽しそうにククと笑った。案外感情表現の豊かな彼は、のあがなにか言おうとしたのを遮って、なにか思い出したように「あ」と呟いた。

「はい。武器くらい持っとけよ」

 そう言って、実尋はホルダーにしまっていた拳銃を再度取り出して、のあに手渡した。そしてそのまま、目の前にあった扉を開けて、小さな部屋に入った。その何の変哲もない部屋で、のあを待つかのように、こちらに視線を送った。少し躊躇ったのあが、しかし一歩踏み出すと、実尋は「信用すんなっつってんのに」と悪戯に、どこか、少しだけ嬉しそうに笑った。

「言っとくけど悪魔専用だ、実弾は入ってない。人間には効かねえからな」
「私は人は撃たない」
「はは、知ってる」

 実尋がのあの頭を撫でた。その子供を相手にするような仕草にほんの少し不満気な表情をみせたのあが、ていうか、と口を開いた。

「実弾ないって……どうやって使うの、これ」
「普通に引き金引けば使えるよ。フォルタシア……は、知ってたっけ」
「うん。知ってたっていうか、さっき聞いたばっかだけど」

 なんとなくは把握したよ、のあがそう言えば、実尋は「なら話が早いな」と壁に寄りかかってのあを見た。

「フォルタシア、まぁ悪魔を弱体化させる薬品だな。その銃は、薬品を内部に溜めて、高濃度で撃てる。一般的な悪魔なら致死量だろうな」
「ふーん……何発くらい撃てんの? これ」
「事実上は無限に撃てるよ、調整器が稼働してれば、大気中に成分が蔓延してるだろ。手動で足したいなら、ここ」

 特に意味はなく銃を光にかざしたりしていたのあの背後から、実尋の手が伸びた。身長の高い彼の長めの髪が、のあの頬にかかるほどの距離。実尋の細い指がのあの手ごとその銃を支えて、持ち手の部分の後ろをカチャと開けてみせた。

「フォルタシアは、水色と白のカプセルの形で保管されてるのもある。カプセルごとこの中に入れろ、それだけでいい」

 分かったか、そう実尋が問いかける、それにのあがうん、と返せば、彼は柔らかく微笑んでみせた。

「ならよかった。まぁでも、少しの間ここにいろ。秀も大丈夫。できる限りはこっちで対処しとくよ」
「え、一人で行っちゃうの?」
「俺といる方が危ないっつったろ……言ってないっけ?」

 実尋は少し考えるように視線を泳がせて、まぁいいや、と続けた。
 
「そういう事だ、護身具さえあればまだマシだろうが、気を付けろよ」

 ひらりと、実尋が手を振って、振り返ることなく扉へ向かった。しかしのあが「えー……」と名残惜しそうに零せば、肩越しにのあの方を向いた実尋がまた、不思議と、愛おしそうに、そして申し訳なさそうに、笑った。そんな彼の仕草は時折、あえてのあの方をあまり見ないようにしているようにも見えた。

「じゃあな、のあ。元気で」

 ぱたん、と扉が閉まった。お互いね、そう言いかけたが、しかし何故か、のあがその言葉を口にすることはなかった。実尋の言った少しの間というのがどの程度を指すのかは分からないが、辺りを少し眺めて、軽く休憩をしてから部屋を後にすることにした。
 張り詰めていた気が、どことなく、緩んだ気がする。彼のそばは、何故だか、どことなく懐かしくて安心するような空気感だった。もちろん目的も何一つ果たしていない今、まだまだ落ち着いてゆっくり、なんて出来はしない状況ではあるのだが。

「……実尋さま」
 
 ぽつりと、無意識でのあの口から零れたそれには、当の本人であるのあですら、気が付くことはなかった。
 ふと、机の下のスペースに一枚の写真が無造作に置かれているのが目に入った。その写真をなんとはなしに手に取れば、ここの聖職者であろう二人の男性と、二人に挟まれて手を繋いで笑う一人の少女の写った写真だった。男性は、多少ブレているが顔立ちからして先程の実尋と、彼と双子であるという真尋の姿だろう。茶色のポニーテールが風に揺れていた。

「……ッ」

 ズキンと、のあの頭が痛む。それは、まるで警鐘を鳴らすように、写真の少女と目が合う度に、ズキズキ、ズキズキと痛みを増した。
 写真を置いてしばらく休み、その後少しだけうろついてみたものの、特にめぼしいものの見つかる部屋ではなさそうだったので、5分程度部屋で大人しく体力回復に専念した後、のあは重たくなった腰をあげた。そして地下3階へ続く、先程シャッターが降りていた踊り場へと向かった。

「……え、」
 
 血だった。
 赤い、赤い血が、鮮血が、ビシャリと辺りに飛び散っていた。そしてそこに、よく目立つ見覚えのある紫色を見た。“彼”は、だらりと力なく、壁に寄りかかってそこにあった。

「……、秀」

 それは変わり果てた、広瀬秀、だったもの。つい先程まで談笑していた彼の姿だった。のあはただ、目の前の光景に呆気にとられて、呆然とそれを眺めていた。のあの心にあったのは、恐怖やら絶望、或いは悲しみと言った感情ではなかった。そこに残ったのは、空白だった。しかし、目の前の光景は時が経てば経つほどに、嫌になるほどの現実味を帯びて、そこに留まり続けた。
 先程シャッターの向こうで聴いた、叩き付けるような爆音と、隙間から漏れ出た血液が脳裏に浮かんだ。

「あの音も、血も、あんただったの?」
 
 のあが、その死体にそっと近付いた。ぱちゃ、と、足元の無慈悲な血溜まりが音を立てた。名を呼んでも、まだ温かさの残る頬に触れても、目を閉じたまま動かない彼。その口の端から、ポタリと、真っ赤な血液が、既に跡を残す場所の残っていない地面に垂れた。
 誰もが生き残るなんて、きっと無理。そう覚悟はしていたはずだったが、事実として突きつけられた現実は、あまりに残酷だった。きっと、何を言っても、もう二度と届かないだろう。表情のせいか否か、目を閉じた彼は、秀のようで、まるで、秀ではないようにも見えた。

「……もっと、早く……」
「近付きすぎですよ」
「!」

 振り返る。目線の先で紫色の髪が、大司教の祭服が、揺れた。

「ご名答……と、言いたいとこだけど。あなたが聞いたその音は別物ですよ、流石にもう処理済みです。彼を救済したのは僕、だから安心してください」

 コツ、と響く彼の靴音ですら、重たく響くような圧。笑顔の彼の冷たい瞳が、真っ直ぐにのあ達のことを見据えていた。ズキンと、のあの頭の奥が、疼くような痛みを発して思わず蹲る。彼はそんなのあの頬に手を添えて、顔を覗き込んだ。

「ああ……まだ名残があるのか。ふーん……僕の事分かりますか? 分かんないよねえ」
「ッ、……柊、大司教……っ」
「あれ? それは分かるんですか? うーん、どの程度なんだろう、もう聞けないし……まぁいっか」

 ぶつぶつと、独り言を話して彼は立ち上がると、のあに背を向けて数歩歩いた。そして振り返って、わざとらしいほどに丁寧にお辞儀してみせた。

「改めまして、僕は柊真尋。ここの大司教で、天使実験の現責任者です。どうぞよろしく、藍葉のあちゃん」

 声も出せないままにのあが真尋を睨みつけるが、その視線を気にもせずに真尋はのあを通り過ぎて秀の方へと歩を進めた。そしてその腕を掴んで、物のように引きずった。

「ちょっ……あんたなにしてんの!?」
「何って、こんなもん、このままほっぽっとく訳にもいかないでしょう?」

 そう言って、場を後にしようとする真尋。その腕を、のあが掴んだ。

「もう、なんですかー? あなたとはいえ、今は構ってる場合じゃないんですよ、ご理解くださいね。ミアちゃーん、手伝って欲しーい」
 
 そう軽くのあの手を振り払った真尋に呼ばれて顔をのぞかせた、ふわふわと、柔らかいスカートを揺らした白い少女​──ミアが、「えー」と不満そうな表情で、なんともない手つきで、手に持っていた大きな袋から取り出した個包装のクッキーの封を開けて口に運んだ。それは確か秀が食べていたもので、封を開けたのも秀だったろう、彼女がもうひとつ持っている袋に比べて開け口が乱雑にも見えた。「んー、これおいしー」と頬に手を当てて幸せそうに笑うミアは、まるでのあとは別の世界を見ているかのようだった。

「しょーがないなぁ……ケーキ3個ね」
「えー? ミアちゃん今勝手に食べてるやつ僕のじゃん、別に良いけどさぁ」
「……、あり、えないでしょ」

 平然と繰り広げられる会話、その様を見てふと零れた言葉に、ミアが無表情でのあを見上げた。それは正しく、人の死にだなんてなんの感情も抱いていない、騒ぐ方がおかしいとでも言いたげな、そんな冷たい目だった。

「めんどくさいなー。死んでから味方ヅラ? 今更すぎるでしょ」
「味方ヅラって、そんな」
「あーあ、長いこと一緒だったもんねー親近感抱いちゃったの? じゃあミアにも抱いてよー、ミア達も知り合いじゃん」

 そう小馬鹿にしたように笑って、ミアはもうひとつの小さな袋に手を伸ばした。透明な袋の中にはたくさん、更に小さな1口サイズのチョコレートが入っているのが見える。そのうちのひとつを、を口に放り込む。そしてもうひとつ手に取って、のあの方めがけて放った。

「どーぞ、傷心中のかわいそーなのあちゃんにあげる、特別にね。おいしいよ、このチョコレート」

 真尋のだけど。そう付け加えた彼女から受け取ったそれは、近くのスーパーでよく購入していた、透明のフィルムに包まれた小さな四角いミルクチョコレートだった。いつか、誰かがお気に入りだと一粒くれたチョコレート。甘くて、おいしくて、気付けば好物になっていた。目に映るあまりにありふれた日常の一部は、ここが狂った異世界なんかではないという現実を、無理やりに押し付けてくるようだった。チョコレートを見つめたまま呆然としていると、ミアが口を開いた。
 
「食べれば? いらないの? ミアは別にアナタに危害加えないよ、命令されてないしめんどくさいもん」
「……」
「えー、ダンマリ?? まぁいいや。コレだけ連れてくねー、ミアたちのトモダチだからさ。んじゃね」

 そう言って、ミアと真尋は秀を引き摺って歩いていった。ふと、真尋が振り返って、のあの目を見た。

「……大幅な乱れは無さそうかな」
 
 真尋はそう言って目を細めると、何かを呟きながらのあに背を向けた。そこに残ったものは、大量の赤と、静寂だった。鮮血で出来た線と小さな足跡が、純白の床に強いコントラストを発して焼き付くように続いていった。何を考えるでも、どこに行くでもなく、ただのあはその場所から離れようと、その足を進めた。なにもない空白が、まだ続いていた。
 結局辿り着いたのは、つい先程実尋と別れた部屋だった。テーブルの上の写真は、変わらないままでそこに置かれている。茶髪の少女が、笑っている。のあと同じリボンをつけた、幼い少女だった。

「……ああ」

 感情の消えたのあの瞳が、写真の中の彼女を見つめた。脳にこびり付いた邪魔なノイズが、少しずつ剥がれていくような感覚だった。手の温もりを、温かい笑顔を、覚えていた。

「これ、私か……」

 正面で、鏡の中ののあが、笑ったような気がした。

@2025 ヰ嚢

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