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episode:08 追憶﹣01

 ドタドタと、子供たちの駆け回る音がする。カラフルで柔らかい床と、拙く可愛らしい絵がテープでたくさん飾られた、淡いクリーム色の壁。幼児用のおもちゃが部屋の中にいくつか転がっていて、それだというのに大きなおもちゃ箱にはまだまだ溢れんばかりのおもちゃ達が頭を出して出番を待っていた。そこはまるで、保育施設の一室のようだった。
 走り回る子供たちよりも一回り大きい“私”には、そんなおもちゃ達は少し歳不相応で、今日も楽しみにしていた新しい司祭様のなんともないような話を、ただ座って聞いていた。

「……ねえ」
「うん? なんですか?」

 聖職者にしてはおそらく珍しい部類の、彼の鮮やかな紫色の髪が揺れる。昔から弟と色違いなのだと、初めて会った時に嬉しそうに笑っていた。

「どうして、私たちを天使様にしようとするの?」

 そう言えば、うーん、と彼は少し考えるように、視線を天井に向けた。そして暫く後に微笑んで、言った。

「君たちは、この世界を楽園へと継ぐ、そんな存在なんですよ」
「楽園……?」
「そう、楽園。遠い昔、人々は原罪を犯しました。そして今、罪を償う為敬虔に生きるべきこの世界は既に悪魔に唆され、堕落への道を歩んでいます……君たちは、そんな世界を、人々を、楽園へと正しく導く存在へとなり得るのです」
「……でも勝手に私たちがなっちゃっていいのかな、私、そんなすごい天使様になんてなれるのかな……」

 私がそう俯いて膝を抱えると、彼は「勿論ですよ」と私の頭を優しく撫でた。

「君たちは、既に神により選ばれた、特別な子供たちです。全ては神の思し召し、なにも心配することなんてありません」
「……」
「この世界を、真に天使の楽園へ。であれば最後の審判の日に、人々は少しでも多く、天の国へと還ることができるでしょう」

 そっか、そう言って笑うと、彼も同じように笑った。天使実験、そう呼ばれる、私の知らないなにか。それが全く怖くない、そういう訳ではなかったけれど、それでみんなが喜んでくれるのなら嬉しかった。なにより、それが悪いことだなんて思えなかった。私は、ここのみんなが大好きだったから。

「ほら、みんな、おいで。もうすぐご飯の時間ですよ〜」

 彼がそう声をかければ、幼いみんなはぱぁっと顔を輝かせて彼の元へ集まった。今日のご飯は何かな、ハンバーグがいいな、なんて賑やかな声で包まれる。彼らが部屋を出ていったあと、ひとり端っこで大人しく座ったままの子供がいた。目立つほどでは無いが、ここのみんなと比べて暖かそうで、毛ぼこりひとつ付いていない綺麗な淡い緑色のトレーナーを着た子供だった。

「……悠くん? どうしたの」

 私が戻ってそう声をかけると、彼は驚いたように私を見上げた。そして、ふ、と目を逸らして俯いた。

「ゆう、ここにいていいのかなって」
「ええ? なんで?」
「だってゆう、天使さまにならないから。いつもあずまの仕事がおわったら、みんなとばいばいして、部屋にかえるんだよ」

 きっとさっきの話が聞こえていたのだろう、その子​──悠くんは、壁に少し体重を預けるようにして、そう言った。
 保育施設のようだと称したこの部屋は、確かに、子供達の生活する部屋だった。教会の面々が代わる代わる面倒を見に来ている、天使候補、通称“世継”の子供達が日々を過ごす部屋。神咲東の子、である彼が、先程の話を聞いていたのであれば、そう思うのも無理はないだろう。

「別に天使になるとかならないとかで見てないと思うよ、みんな悠くんのこと分かりやすく大好きじゃん。ここの子達も」
「そうなの?」
「うん。信用していいよ、私見る目あるから。私も悠くんだーいすきだしね! ほら行こ、悠くんいないとみんな心配するよ」

 私も大した言葉をかけられる訳でもないが、そう笑いかける。しかし安心したのか嬉しそうに笑った幼い彼は、うん、と差し出した私の手を握った。数秒後、ドタドタと慌てた足音の直後、紫の髪が覗いた。彼は2人の姿を認識したあと、安堵の溜息を漏らした。

「あ、真尋様」
「まひろー!」
「よ、よかったぁあ……どこいっちゃったかと……」

 駆け寄った悠くんを抱き寄せて、呼吸を整えながら、彼が胸を撫で下ろしてその場にしゃがんだ。余程気が抜けたのだろう、話し方から敬語すらも抜け落ちていて、へにゃへにゃとした申し訳なさそうな顔で「置いていっちゃってごめんねえ」と私たちの頬を撫でた。

「じゃあ行きましょっか、みんなでご飯食べに」

 そう立ち上がった彼の手を取って、部屋を後にする。

「というかそもそも実尋どこ行ったの、今日予定一緒だったよねえ? ……多分資料室だな……全くもーー……」

 頭上から、ぶつくさとそんな文句が小さく聞こえてくる。時折零す彼の素の言葉は、普段聖職者として振る舞う彼とはやっぱり少し違くて、なんだかおかしくて笑ってしまった。彼が振り向いて、「聞こえてました……?」と照れ臭そうに頰を掻いた。

「別に良いんですけどね。勉強熱心なところは、実尋のいいところですから」
「あ。ゆうしってるよ、まひろみたいな人のこと、“ブラコン”ってゆーんでしょ!」
「なっ……そんな言葉どこで……」

 ふんすと、ドヤ顔を浮かべる悠くんとは対称的に、彼が引き攣った笑顔で固まる。少し後で、困ったように笑って、続けた。

「悠くんはさ、東さんのこと好きでしょ?」
「うん」
「僕もおんなじだよ。生まれた時からずっと一緒にいる家族なの、だから大好き」

 彼がそう言えば、悠くんは「かぞく……」と呟いて、ほんの少しの間黙った。そして、私と、彼の方を向いて、目をみて笑った。

「じゃあゆう、みんなのことだいすき。ゆうのかぞくだから」

 純粋な表情でそう言った悠くんに、ひどく感動したのか真尋様が今にも泣きそうな程の表情で彼を抱きしめた。まあかくいう私も、その限りだったのだが。悠くんはただ不思議そうな顔で、それでも嬉しそうに「へへ」と笑った。
 私はきっと、何も知らない。天使実験の目的も、内容も、私に付けられた名前の意味も、それから、“神咲”東の子が“天海”悠である理由さえも。それでもこの場所は、確かに地下に作られた部屋だったが、木漏れ日の降り注ぐ昼下がりのようにただ温かかった。

「あ。実尋ーーー!!」
「ああクソバレた……」

 道の奥、双子の弟の姿を見付けたらしい真尋様が、彼を呼んだ。呼ばれた彼はと言えば、やらかした、とでも言いたげな表情で、諦めたようにこちらへと歩み寄る。

「当たり前でしょバレたじゃないよ、何してんのさ。そーんなに僕と二人は嫌な訳?」
「ああやだやだ、嫌だから当番変えてもらっていいか」
「ひっど、ほんっと君って素直じゃないよねー」
「は? 本心だよ」

 いつも通りのそんなやり取りに悠くんと二人で目を合わせて笑ってしまえば、実尋様はばつが悪そうに腕を組んで目を逸らした。

「ほら、みんな待ってるから行きましょう。実尋もだからね」
「はいはい、言われなくても。ほら悠、段差危ないから連れてってやるよ」

 実尋様が屈んでそう手を伸ばせば、悠くんは「ゆうもう一人でだいじょうぶだもん!」と頬を膨らませた。
 
「昨日転んだだろ……まぁいいや、じゃあ気を付けろよ」
「えー! じゃあ私がだっこ!」

 呆れたような実尋様にそう手を伸ばせば、彼は「はいはい」と迷うこともなく手を差し出した。そんな彼の腕の中に飛び込めば、ふわりと身体が持ち上がる。身長の高い彼だ、目線が高くなって、私の心も弾むようだった。

 ​──明日は、私が天使になる日。天使様は、純白の髪と両の目が特徴だから、私の茶色の髪も、藍色の瞳も、今日でお別れだ。それでも、ここはこんなにあたたかいから。

「……だいじょうぶ」
 
 目を閉じて抱きつけば、まだほんの少し残る不安を察したかのように、実尋様の大きな手が優しく私の頭を撫でた。
 食堂に向かう前に、少し広めの休憩室のようなスペースに向かった。どうやら二人がいないことに気が付いた真尋様がそこで待機しているように頼んだらしく、そして廊下から窓越しにみえたその場所には子供たちに紛れて、見慣れた男性の姿があった。彼は騒ぐ子供たちと会話をする合間に手元の書類に何らかを記入している様子だったが、しかし一文字書いてはやめ、書いてはやめという状況に、少し後に手元の作業は諦めたようだった。室内に入れば、彼の月光色の瞳がこちらを見た。

「おかえりなさい」
「あずまー!」
 
 そう微笑む彼の、中性的な容姿に対して、低く、確かに男性らしい落ち着いた声。彼はそう言うと、嬉しそうに駆け寄って抱きついた悠くんを受け止めて、視線を合わせるようにしゃがんだ。彼こそが神咲東、天海悠の父親とされる男性だった。その容姿は、一般的にかなりの美人に分類されるだろう、肩程度まである漆黒のストレートヘアー、それと対比するように、一切の濁りのない透き通るような白い肌。切れ長の目元の長い睫毛から覗く、満月のような淡く澄んだ金色の瞳は、今にも吸い込まれそうだ。まるで冷たい冬の夜のような洗練された美しい容姿に、しかしその微笑みは柔らかい太陽光のような温もりさえ感じさせる。
 
「神咲さん!」
 
 再び地面に足をつけた私も彼の元へ駆け寄って、そしてそう名を呼べば、彼は私の頭を撫でて笑った。ふわりと仄かに鼻先を擽る、花のように柔らかく、柑橘​──そう、まるで檸檬のような、スッキリとした爽やかな匂い。その奥に、まるでバニラのような甘さすら潜んだ、誰より尊敬する、大好きな人の香りだった。

「あずまあのね、ゆうここまで一人で歩いてきた!」
「そうなんですか? ふふ、すごいすごい。もうお兄さんですねえ」

 そう褒められた悠くんが、ふふん、とドヤ顔で満足そうに笑った。ポンポンと頭を撫でて、神咲さんが立ち上がる。

「じゃあ……すみません、私は呼ばれているので、失礼しますね。ご飯は好き嫌いしないでよく食べるんですよ、約束できますか?」

 神咲さんの言葉に、私を含めて皆が「はーい」と返した。ただ、そのうちの一人、悠くんだけが少し不満そうに頬を膨らませた。

「もう行っちゃうの?」
「ごめんね、悠。合間にまた戻ってきますから、少しだけ許してください」
「あずまと食べれると思ったのに……」

 そう目を潤ませた悠くんに、神咲さんは困ったように笑って、そして頬を撫でた。それは愛おしさと申し訳なさが入り交じったような、そんな表情に見えた。

「ごめんね、ごめんなさい。……そしたら、おやつは一緒に食べましょう? 悠の好きな車のクッキー、用意しておきます」
「! いいの!?」
「もちろん」

 その言葉に悠くんが目を輝かせた。周囲から、「悠ずるい!」とちょっとした野次が複数聞こえるのは、神咲さんの人気故だろう。だって私でさえ、少し羨ましいと思ってしまったから。神咲さんは周囲を軽く見渡して、考えるように口元に手を添えた。

「おや……ええと、じゃあ15時頃にみんなでおやつタイムにしましょうか。悠」

 こそっと、ちいさな、誰にも聞こえないような声で、神咲さんが悠くんに耳元で話しかけた。

「悠の隣、私が座ってもいいですか?」
「うん、あずまに席取っといてあげる!」
「ふふっ、ありがとう、助かります」

 そして立ち上がった神咲さんは「じゃあ、また後で」と手を振った。扉を出る時、実尋様の額をコツンと軽く小突いて、「実尋も、当番破棄はしないでくださいね」と笑った。

「う……すみません……」
「ふふ。まぁ、あまり心にもない事ばかり言うものではありませんよ、お互いに」

 扉に手をかけた神咲さんが、振り返って、双子の目を見て、笑った。

「貴方達、たった二人きりの兄弟でしょう?」

 その笑顔は、いつも通り穏やかで、優しくて、それなのに落ち着いた声の奥に潜む音色が、どこか寂しそうにも聞こえてしまった。

「神咲さん」

 そう意味もなく名を呼べば、ん? と神咲さんが首を傾げて、目線を合わせた。それはいつだって変わらない、柔らかな微笑みだった。

「……なんでもないです」
「おや、そうですか。何かあればいつでも呼んでくださいね、すぐに向かいますから」
「うん、ありがとう神咲さん」
「ふふっ、東でいいと言っているのに」

 そう言って彼は軽く私の頬を撫でて、再び立ち上がって、そして今度こそ手を振って、扉の向こう側へと姿を消した。

「じゃあ、今度こそご飯ですよー。みんなちゃんと着いてきてくださいね、実尋は後ろから見ててもらっていい?」
「……はいはい」

 真尋様の声で、ぞろぞろと、子供たちが軽く列をなして食堂へと向かった。
 ああ、いい匂いがする。今日はカレーの日だ。私の大好きな、あまくて、優しい味の、お肉とお野菜がたくさん入ったカレー。

「ああ、楽しみ!」

 思わず駆け出せば、真尋様が少し慌てたように「ちょっとー、走んないでくださいよぉ」と不満気な声を零した。

@2025 ヰ嚢

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