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episode:01 序章

 立て付けの悪い扉を、強風が叩き付ける音で目を覚ます。ただでさえ寝ぼけ眼な目は暗闇に慣れるまでに軽く時間を要したが、徐々に露出した空調設備や、もはやなんの為のものであったのかも素人目には分からない上から垂れる千切れた黒い無機質なコード等、あまり綺麗とは言えない部屋の全容がその輪郭を朧気に主張し始めた。チラシか広告か、印刷された文字までは見えないが何かが大きく宣伝されたような紙やボコボコに変形したダンボールが所々に散乱している。見失ったスマホを探すために伸ばされた掌を刺す、ピリッとした電撃のような痛みで、彼女 ──藍葉(あいば) のあは、ようやく意識をその場に戻した。


「いった……、……は、何、どこ、ここ……」


 ぷっくりと赤く小さな球体を作り出す掌を、ポケットティッシュで軽く抑え辺りを見渡した。何か、夢を見ていたような気がする。しかしそれを思い出すことはついぞ叶わず、何かモヤのようなものが、のあの胸につっかえていた。暫く後、じわりと赤を広げたそれと、中身を使い果たしその役目を終えた空袋をポケットに突っ込み、立ち上がって電気のスイッチを探した。壁を頼りに、辺りをべたべたと触りながら進む。何分経ったか、コンクリート造りのざらりとした感覚とは違うツルツルとした凹凸を見付け安堵し、それと同時に今更『ここの電気が機能するか分からない』という現実に気が付いた。


「うう、多分だけどめちゃくちゃボロそうなんだよなあここ……神様、頼んだ!!」


 望み薄な状況ではあるが、粗雑な神頼みをした勢いに任せて、そのスイッチを押した。数秒の沈黙を挟み、絶望と同時にのあが神の存在を否定しかけた頃、ヴヴヴ、という音を立て数回の点滅の後、部屋に明かりが点った。視界が鮮明になったことで目に入った、割れた注射器のガラス片。先程掌を刺した痛みは、恐らくそれであったのだろうことが判明した。


「え待って、なんかこれやばい薬品とか……!?」

 

 そう、今更ながらに慌てて血を押し出すのあだったが、辺りに置かれている物の様子からすると、不幸中の幸いと言えるだろうか、未使用品が落ちて割れただけ、という説が濃厚だった。視線を動かし、先程の散らばった広告を見遣った。のあの足元に落ちているそれは、大きく『神は信じる者を救って下さいます!』と書かれており、下に何か神秘的なイラストと共に簡単に教えが纏められていた。付近には他にも書類が落ちているが、どれも『大司教 柊 真尋(ひいらぎ まひろ)様 特別講演の御案内』『神による魂の救済』などと、宗教じみた文字列が多々伺える。先程暗闇の中でのあがゴミだと認識したそれは、恐らく初めは綺麗にダンボールの中に収められていたのだろう。あちらこちらに転がる変形した茶色の箱の中からは、同様の内容の書類が顔をのぞかせている。そんな中、理科実験室で見るようなフラスコや古い顕微鏡、ピンセット等の資材が置かれている棚の下に、見覚えのある黒の板が落ちているのが見えた。


「あ、私のスマホ……。……なんでこんな所に……?」


 それは、明らかにのあがいた場所からかけ離れた位置に落ちていた。電源を入れる。多少画面が割れてはいるものの、まだ見られる範囲だった。15%という絶望的な電池残量を視界から追い出し、時刻を見た。2014年の12月29日、午前1時30分。午前とは言え、早朝と言うよりは深夜という言葉の方が随分と似合う時刻だ。国をあげて唯一人の生誕を祝った煌びやかな一大イベントが終わりを告げ ──とはいえ1月過ぎまでは祝い続けているようではあるのだが ──賑わいも当日、25日よりは恐らく落ち着いてきた頃だろう。流石は信者数が世界人口の九割以上を誇る宗教“ヴァルミナ教”だけあって、当日は大学も休みだった為、引きこもり気質ののあは一日中部屋で堕落した生活を……送りたかった所だが、何を隠そう、のあも一信者である。クリスマスは友人と共に教会で大半を過ごした。そして翌日も、その友人と二人で過ごす予定だった。彼女が、どこかに消えてしまうまで。


 ──先程の一文には少し些細な、しかし意味合いとしては随分と変わってくるひとつの訂正が必要である。のあも一信者で“あった”。そうして、次また一信者に戻る為には、この拭いきれない不信感をどうにかしてしまう必要があった。


一部の間で暗に囁かれている、『殺人宗教』という噂の真実についてを、知る必要が。

​© 2025 ヰ嚢
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