
episode:03 再会
「生きてる……。……良かった〜〜!!」
「うおわっ」
その声の主、相変わらずパーソナルスペースという概念を微塵も知らないのであろうその男──広瀬秀は、のあに抱きついて肩に顔をうずめた。
「近いわ」
「あ、ご、ごめんなさいっ……すごい音して、僕、僕逃げてるとこ、見て、……っ、死んじゃった、かと……」
そう言った秀の大きな目から、ぼろぼろと大粒の涙が溢れる。ぎょっとした表情のまま固まるのあを置いて、秀は何度も小さく「良かった」と零した。
「ごめんね、助けに、いけなくてごめんね、僕歳上なのに、のあちゃん女の子なのに、ごめんね……怖かった……」
「べ、別に良いですけど……まぁ、あんたも無事そうで良かったです」
のあがそう言って笑うと、耐えきれなくなったのであろう、余計に目にたくさんの涙をためた秀が「のあちゃぁあああん」と再度抱きしめた。
「く、……くるしい…………」
「怖い、怖かった、ひとりにしないで、……置いてかないで……」
「いやどっちかって言うと置いてったのそっち……まあいいや……」
のあはと言えば棒立ちのままで、暫くの間そうしていると、ようやく落ち着いたのか秀が小さく「……ごめん」と呟いた。
「僕、僕ね、……僕強く、なりたくて、……だって年上だから、男だから、怖がってたらかっこわるいでしょ? だからね、こんな状況でも冗談言って笑えて、楽しんで探検できる、くらい……頑張ったん、だけど、……やっぱ怖いよ……」
そう言って、「のあちゃんはかっこいいね」なんて笑う秀に、のあは思わず吹き出してしまった。そんなのあの様子を見た秀の頭上に、そんなはずは無いのだが、たくさんの疑問符が見えた。
「かっこいい、って。あんた私が扉開けるのすらビビりまくってたとこ見てたじゃないですか、一瞬で名誉挽回出来ちゃった感じ?」
ああおかしい、とのあが軽く秀の頭を撫でれば、柔らかくふわふわとしたそれは、嫌がるどころか少し嬉しそうに、子供のようにのあの手に擦り寄った。
「あんたのが充分かっこよかったですよ、秀。例え強がりだったとしても、……まぁ冗談はちょっと下手かなって思いますけど」
「うん、……ごめんなさい。次からは、もっと気を付けるね」
「そもそも別に冗談言ってる場合でもないですけど、まあ、和ませようとしてくれてんなら……ありがとね」
そういうと、うん、と彼が笑った。
「……、あんた、どこかで██████████████████████████████████████████████████████
「……ッ!!」
突如、のあの頭をノイズが走ったような激痛が襲った。それはほんの一瞬で、たった1秒にも満たないものだったが、大丈夫?と心配そうな秀の声が、やけに遠かった。
聞いたことがある声に、見た事のある表情。のあがそれを思い出そうとする度、思考のノイズがその記憶を邪魔してくる。そしてそのノイズは、どうしたって剥がすことは不可能そうだった。
「……、ごめん。行こう」
そう、方向を変える。今ののあには、使い慣れない敬語を使う余裕も、こちらを見る秀の表情を、見ている余裕もなかった。ふと思い出して、先程警備職員室で拾った小さな鍵をポケットから取り出した。
「武器庫の鍵? どこで見つけたの?」
「警備職員室で。普通に引き出しの中に適当に押し込まれてましたよ」
随分雑な管理してますよね、と付け足して地図を見る。秀の言う通り、この鍵には小さく「倉庫B」と書かれた青色のキーホルダーが付けられていて、そして地図上で「倉庫B(武器庫)」と書かれたその部屋は、丁度今私たちがいる目の前の扉を、開けた先らしかった。
「じゃ、行きましょっか」
「うん、そ〜だねえ」
ガチャ、と鍵の開く音がする。扉の向こうは少し埃っぽくて、電気を付けても尚薄暗い部屋だった。そして。
「……はっ、ゲームの中かよ……」
そして、壁にかかったりダンボールに詰め込まれていたり様々な銃やナイフ、そんな中に混ざっているせいで鋭利な武器にしか思えないアイスピックや、果たして一体誰が使うのか釘の刺さったバット……と、秀ですら、思わず「随分ファンタジーだね」とツッコミを入れたくなるような光景が広がっていた。
「ナイフ、借りてこうかな」
「使えるの? 怪我しない? 危なくない?」
「心配性だな……護身用に、一個くらいあった方が良くないですか? 銃だとリロードの方法とか分からないし」
「それもそっかぁ。うぅ……気を付けて持ってね」
「あんたは? いいんですか??」
「……僕、刃物苦手だから、大丈夫」
その返答に対して、のあは何かを言おうとした。しかし、そっと自分の腕を握りしめて目を逸らす秀に、それ以上何も言うことは出来なかった。
「あ……そういえばさ、のあちゃん。さっき逃げてる時見つけたんだけど、これ使えるかなあ」
「?」
そう言って秀から手渡されたのは、黒色のカードだった。ちらと裏面を見ると、そこには「Mihiro Hīragi」の刻印がされている。それは細かな傷一つない、綺麗なカードだった。
「さっき、向こうにカードキーないと動かないエレベーターがあってさ。もしかしたら出口とかかも! って思って。でね、どうにか開ける方法無いかなー? って探してたらこれ見つけたから……のあちゃんと一緒に行きたいなあって」
「……ひいらぎ、みひろ」
「そう、柊 実尋。大司教の双子の弟で、ここの司祭でしょ? どこにでも行けそうな感じしない!?」
そう言って早くも目を輝かせる秀が、地図を見せて欲しいと急かす。彼の言う奥まったその場所には、確かに小さくエレベーターらしき記号が書かれていた。向かう先は地図にも記載されていないが、出口へ通じている可能性はゼロ、とは言いきれないだろう。嬉しそうに先導する彼について、のあもその場所へと向かった。
『カードキーを認証してください』
辺りに小さく、無機質な声が響いた。先程受け取った黒いカードをかざすと、「ピロン」と可愛らしい認証音が鳴る。
『カードキーが認証されました。ID、パスワードを入力してください』
「……。……知ってます?」
「んーん、知らない!」
「ですよね……はぁ、そう簡単には行かないか」
探しに行く? と、毎度何故か探索には乗り気な秀と、相変わらず他に道もないので渋々同意するのあ。秀は早々に「じゃあ僕こっち探してくるね」と行ってしまったので、のあは彼の向かった方とは反対側に歩を進めた。いくつか部屋の中を探し回っているうちに、秀が最初に見回っていたはずの小さな部屋の扉が開いて、小さくこちらを呼ぶ声がした。
「……い、おい」
「? ……秀?」
「違う。そいつが戻ってくる前に、早く来い」
「……信用できる要素は?」
のあがそう問うと、声の主はほんの少しの沈黙を返す。そして、諦めたかのように姿を見せた。暗い黒の髪は肩に付くか付かないか程度の長さで、軽い外ハネになるようにセットされていた。ピンク色のメッシュが特徴的な、顔立ちは存外可愛らしい、身長の高い男性だった。
「……俺は、柊実尋。藍葉のあ、お前が持ってるそのカードキーの持ち主で、少なくともお前の敵じゃない」
「柊、実尋、って……秀からは、隠れていたんですか? こんな状況で、聖職者である貴方たちを信用しろ、って方が難しいとは思いますけど」
「それ、は……まあ、そうだろうな。俺でもそう思う」
軽く、サラッと認める彼、実尋に、のあもどこか拍子抜けしたのか若干警戒を緩めた。彼はどういう訳か、特にのあに危害を加える気は無いように見えた。
「……パスワード」
「?」
「必要なら好きに使え。俺の筆跡だ、疑われることもないだろ。IDは名前の上の数字だ、指示が無い限り英字は含まなくていい」
そう手渡された紙の切れ端には、確かにパスワードらしき数字の羅列が、直筆で記されていた。
「それ使ってどこに入りたいのかまでは知らないけど。もうアイツが帰ってくる頃だ、……気を付けろ」
そこまで言うと、実尋は若干慌てたように部屋に戻る。直後、「のあちゃ〜ん?」と気の抜けるような声が、向こうから聞こえてきた。
「ああいたいた、どーぉ? なんか手がかりあった?」
「……秀、……。……パスワード、見付けた」
「えぇ!? ほんと!?」
秀は本当に驚いた、とでも言いたげな表情を浮かべて、そしてちら、と先程実尋が引っ込んで行った部屋の扉を眺める。それは変わらない笑顔で、ほんの一瞬で、それでもどこか、何か、思うことがあるような。そんな表情にも見えた。
「やったぁ、これで外出られるねえ!……ああ、外かはわかんないか……とりあえず行ってみよー!!」
そう言ってのあの手を引く秀の力が、どことなく、ほんの少しだけ強いような、そんな気がした。
『カードキーが認証されました。ID、パスワードを入力してください』
先程の機械に、教えてもらったIDと、パスワードを入力する。
『……柊 実尋 ID:20040782 クラス:priest 認証が完了しました』
機会の稼働音がして、エレベーターの扉が重い音を発しながら開かれた。予想に反して、地下への一方通行のようだった。
無機質な飾り気のない、静かな四角い箱の中。秀が一言、口を開いた。
「ねえ。さっきのカードキー、僕が持っててもいい?」
「は?」
「だって僕パスワード知らないんだよ、のあちゃん、ほんとは僕のこと信用してないでしょ?」
「……そう思うなら、どうして渡すと思うんですか?」
「…………置いてかれたくない」
「……。はぁ、別に行きませんよ。ほら、そんなら持っててください」
信用していない。それは事実、といえば事実なのだが、当の本人からそう言われてしまうとそれはそれで腹が立つのがのあという人間だった。若干不機嫌がちにカードキーを手渡すと、秀は「え、」と声を漏らす。
「いい、の? ほんとに??」
「どーぞ! その代わり、勝手にどっか行ったら怒りますからね」
「っ、うんっ! 約束する、あの、」
「? なに」
「ありがとね、のあちゃん」
ポーン、と音を鳴らして、エレベーターが到着する。一直線の、純白のタイルが張られた短い廊下だった。正面に、両開きの鉄扉が構えている。重たい扉を開く。
「ひ、ッ」
先導していた秀が、怯えたように後退った。
───噎せ返る程の、鉄と、腐敗の臭いがした。
少し前まで、心のどこかで馬鹿らしいなんて笑い飛ばしていた噂が、急に現実味を帯びて目の前に転がっていた。生温い空気が、立ち込める臭いが、赤黒くこびりついたその何かの塊が、目に、脳に、強烈に焼き付いた。のあの人間としての本能が、理性が、倫理が、その光景を拒否しているようだった。
「ぉ、え、」
逆流してくる胃の中のそれを、抑えることも出来ずその場に吐き出す。死体、とすら、形容できない、腐って爛れた肉の塊の中。その中に時折、まだ新しい人間の腕やら臓器やらが千切れて混ざっている。その場にある量こそ少ない──とはいえ優に10人分は超えるであろう──が、廃棄されたか、跡形もなく腐り果てたのか、明らかに10人やそこらが保有する量では無い夥しい量の血痕が、薄暗く小さな、穴を掘っただけのような部屋とも言えない部屋の中に飛び散っていた。
「何してるの?」
「!?」
不意に響く幼い少女の声に振り向く。ずる、びちゃ、と何かの音が響く。
「ゴミ捨て場で座り込まないでよ、邪魔だなぁ」
───透き通るほどに柔らかな肌に、光をキラキラと反射する艶やかな白いツインテール。中学生にもならないような、まだ幼さも抜けきらないながらに美しいその容姿に良く似合う、フリルの沢山あしらわれた可愛らしい純白の衣服。それにじわりとよく目立つ、鮮血の赤色を染み付けた子供がいた。その子供は、のあのすぐ隣まで歩み寄ると手に持ち引き摺っていたその肉の塊を扉の中に投げ込んだ。
のあは、彼女を、知っていた。聖女マリアからとった名前を冠す、天使様と呼ばれる、人懐こく可愛らしい彼女を。
「みあ、ちゃん」
「ん? ……ああ、のあちゃん? ごめんね、暗くてわかんなかった。そっちの人は?」
そう言って、こちらに歩み寄ってぐい、と秀の顔を覗き込むミア。小さく引き攣った悲鳴を零して秀が後退る、その様を見て小さく「ふっ」と笑って見せた。
「そういえばなんか言ってたっけ? あんまキョーミなくてちゃんと聞いてなかったけど。そーゆーことかぁ」
「っ、ミアちゃん、これ何? なんであんたがこんな、どういう事なの説明してよ!!」
そう詰めると、ミアは面倒そうに溜息を吐いた。
「うるさいなぁ、こんな事で騒がないでよ。これ、全然良いお肉じゃなかったから捨てに来たの」
「は、? 良い、お肉?」
「ミア、お食事沢山作ってあげたでしょ? 柔らかくて、美味しいお肉だったでしょ? ミアが、ちゃーんと選んでたからだよ?」
ミアが、笑顔で、腕を広げた。“天使様”の振る舞う料理はどれも絶品で、天使の加護だと、いつも信徒達に大人気だった。そしてのあも、好んで食していた。彼女の作る、得意とする、肉料理を。
「ま、って、……待ってよ、そんな、」
「勿論、救済の過程で魔力は抜いてあるから、大丈夫だよ。害はない。というか、適度な魔力を浴びながら育ったお肉はね、柔らかくって、肉汁た〜っぷりで美味しいんだよ?」
肉だけ剥ぎ取られたような、死体が見える。
四肢が、指が、バラバラにされた、死体が見える。
内臓を引きずり出されて、解体された、死体が。
「のあちゃんも、知ってるでしょ?」
「ッ、ゔ、」
胃の中身は、もう残っていなかった。胃液がこみ上げる。震えが、涙が、止まらない。同じように震える秀の手が、それでものあを慰めようとするかのように優しく肩を撫でた。
「随分怖がってくれてるみたいだけど、ミア悪いの?」
ミアの血に染まった両手が、彼女の純白の衣服を汚した。
「ミア、ずーっとこうやって生きてきたんだよ。これが当たり前なの、こうしろって言われたの、何が悪いの?」
その言葉は、言葉だけは、まだ純粋な子供のようにも聞こえた。それでものあは、子供だから、なんて。それで救われるのなら、なんて、言えるわけがなかった。
「……、それでも、……それでも私は、あんた達のこと、最低だとしか思えない」
「そう? 残念、同情作戦だいしっぱ〜い」
ミアはそう言って、見下したように目を細める。血塗れの手を口元に添えて、あは、と笑った。
「今だって、何も気付いてない癖に。……あははっ」
「は? どう、いう、」
「ミア着替えなきゃ。じゃーね、ばいばい」
血染めの天使が、ふわ、と軽い足取りでエレベーターの隣の階段へ向かった。優しく、寄り添う天使様なんかじゃない。無慈悲で、無情な、残酷すぎる天の使いのようだった。
「……え、あ」
不意に、秀が小さく声を漏らして、一点を見つめたまま固まった。先程、ミアが持ってきた遺体の方。呼びかけても、ただ沈黙が帰ってくるだけだ。
「……秀、秀? どうし……」
「あ、ああ、ごめん。……昔の友達だったんだ。さっきミアちゃんが連れてきた子」
「え」
「残念だなぁ、こんな所で、こんな形で、会うなんて。……本当に、残念」
「……」
秀の手が、優しくその血に塗れた頬を撫でた。
「……、残念、って」
「行こっか」
「……」
その手が、無理矢理のあの手を引く。ぬるりとした血の感触が、まとわりついて気持ちが悪かった。先程ミアが昇って行った階段以外に特に道は見当たらない。階段の先はきっと元のフロアだろう。幅の狭い石の階段、先を行く彼が、のあの手を離す。一段目に足を踏み出した、瞬間だった。
『ビーッ!ビーッ!』
「!?」
耳を裂くような警報の音に一瞬のあが怯んだ、その瞬間だった。秀とのあの間に、ちょうど隔てるかのように勢いよく鉄の壁が落ちてきた。
「ッ、ねえ! そっちから開けられないですか、っ、出して……」
シャッターを叩いてそう声を張り上げてみても、声は通らないのか秀からの返事は無い。それでも、カードキーとパスワードを、秀は持っているはずだ。
ぬるりと、のあの手に付いた血が触れた壁を染めた。
「……放置、しない確証は無い、か」
肉塊にまみれた、辺りを見渡した。これで終了だなんて、そんなの認められなかった。
「脱出ゲームってこと、ね……」
血の海へ、1歩踏み出した。
グチャ、と、生々しい嫌な音がした。