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- ノウ | 楽園都市管理室
< Back ノウ データ名 のう 嚢 所属 楽園都市管理室 身長 158.0 性別 無性別(女性型) 生年月日 ⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ like ⬛︎⬛︎ dis like ⬛︎⬛︎ ID:Ⅰ-null-000 データ固有名:嚢 Ⅰ-null-000【ノウ】は、この楽園都市の代理管理人です。 管理人により、直々に楽園都市パラディースト=ロギアにおけるデータの作成、管理を一任している、当世界の〈思考〉 です。 エターリア最終日、Ⅰ-null-300により〈白き終焉の月〉 が発令された場合は、直ちにエターディアによるデータ保護の元、楽園の再構築に備えてください。 Ⅰ-null-300による〈触月〉について ※当データは███による影響で、一部デー█に██が散見されて██す。 現在データの復█ 菴懈・ュ荳ュ縺███████ ---以下管理室内部音声データ--- 【ID】:REC-PL12570101 【記録日時】:月暦1257/ジェナリア/01 【記録エリア】:パラディースト・ロギア-管理室 【備考】:音声データに一部破損、乱れあり 「███──、初めまして。我が永遠の楽園へようこそ、██」 「……あなたが、ここの管理人【ノウ】?」 「正確には代理管理人だよ、私自身も、創られ、この世界に落とし込まれた存在にすぎない。君と同じように」 「……」 「つまり私も、世界管理を担っているだけの創造物ってこと。気軽に接していいよ、他の創造物達と同様にね」 「気軽にって……そんなに気軽に会話できるの、あなたとは」 「会話?同じデータベースに存在する以上は、一応可能なはずだよ。……ただまあ、私が別に話すことないというか。君達の話す事、難しいんだもん」 「あなたが創ったのに?」 「言ったでしょ?私は所詮代理人。管理人のことなんて大して知らないし、この世界のことも別に一から十まで知ってる訳じゃないよ。ほら、もう時間だ。またね」 Previous Next
- episode:01 序章 | 楽園都市管理室
戻る episode:01 序章 立て付けの悪い扉を、強風が叩き付ける音で目を覚ます。ただでさえ寝ぼけ眼な目は暗闇に慣れるまでに軽く時間を要したが、徐々に露出した空調設備や、もはやなんの為のものであったのかも素人目には分からない上から垂れる千切れた黒い無機質なコード等、あまり綺麗とは言えない部屋の全容がその輪郭を朧気に主張し始めた。チラシか広告か、印刷された文字までは見えないが何かが大きく宣伝されたような紙やボコボコに変形したダンボールが所々に散乱している。見失ったスマホを探すために伸ばされた掌を刺す、ピリッとした電撃のような痛みで、彼女 ──藍葉(あいば) のあは、ようやく意識をその場に戻した。 「いった……、……は、何、どこ、ここ……」 ぷっくりと赤く小さな球体を作り出す掌を、ポケットティッシュで軽く抑え辺りを見渡した。何か、夢を見ていたような気がする。しかしそれを思い出すことはついぞ叶わず、何かモヤのようなものが、のあの胸につっかえていた。暫く後、じわりと赤を広げたそれと、中身を使い果たしその役目を終えた空袋をポケットに突っ込み、立ち上がって電気のスイッチを探した。壁を頼りに、辺りをべたべたと触りながら進む。何分経ったか、コンクリート造りのざらりとした感覚とは違うツルツルとした凹凸を見付け安堵し、それと同時に今更『ここの電気が機能するか分からない』という現実に気が付いた。 「うう、多分だけどめちゃくちゃボロそうなんだよなあここ……神様、頼んだ!!」 望み薄な状況ではあるが、粗雑な神頼みをした勢いに任せて、そのスイッチを押した。数秒の沈黙を挟み、絶望と同時にのあが神の存在を否定しかけた頃、ヴヴヴ、という音を立て数回の点滅の後、部屋に明かりが点った。視界が鮮明になったことで目に入った、割れた注射器のガラス片。先程掌を刺した痛みは、恐らくそれであったのだろうことが判明した。 「え待って、なんかこれやばい薬品とか……!?」 そう、今更ながらに慌てて血を押し出すのあだったが、辺りに置かれている物の様子からすると、不幸中の幸いと言えるだろうか、未使用品が落ちて割れただけ、という説が濃厚だった。視線を動かし、先程の散らばった広告を見遣った。のあの足元に落ちているそれは、大きく『神は信じる者を救って下さいます!』と書かれており、下に何か神秘的なイラストと共に簡単に教えが纏められていた。付近には他にも書類が落ちているが、どれも『大司教 柊 真尋(ひいらぎ まひろ)様 特別講演の御案内』『神による魂の救済』などと、宗教じみた文字列が多々伺える。先程暗闇の中でのあがゴミだと認識したそれは、恐らく初めは綺麗にダンボールの中に収められていたのだろう。あちらこちらに転がる変形した茶色の箱の中からは、同様の内容の書類が顔をのぞかせている。そんな中、理科実験室で見るようなフラスコや古い顕微鏡、ピンセット等の資材が置かれている棚の下に、見覚えのある黒の板が落ちているのが見えた。 「あ、私のスマホ……。……なんでこんな所に……?」 それは、明らかにのあがいた場所からかけ離れた位置に落ちていた。電源を入れる。多少画面が割れてはいるものの、まだ見られる範囲だった。15%という絶望的な電池残量を視界から追い出し、時刻を見た。2014年の12月29日、午前1時30分。午前とは言え、早朝と言うよりは深夜という言葉の方が随分と似合う時刻だ。国をあげて唯一人の生誕を祝った煌びやかな一大イベントが終わりを告げ ──とはいえ1月過ぎまでは祝い続けているようではあるのだが ──賑わいも当日、25日よりは恐らく落ち着いてきた頃だろう。流石は信者数が世界人口の九割以上を誇る宗教“ヴァルミナ教”だけあって、当日は大学も休みだった為、引きこもり気質ののあは一日中部屋で堕落した生活を……送りたかった所だが、何を隠そう、のあも一信者である。クリスマスは友人と共に教会で大半を過ごした。そして翌日も、その友人と二人で過ごす予定だった。彼女が、どこかに消えてしまうまで。 ──先程の一文には少し些細な、しかし意味合いとしては随分と変わってくるひとつの訂正が必要である。のあも一信者で“あった”。そうして、次また一信者に戻る為には、この拭いきれない不信感をどうにかしてしまう必要があった。 一部の間で暗に囁かれている、『殺人宗教』という噂の真実についてを、知る必要が。 戻る 次へ Up
- ヴァル | 楽園都市管理室
< Back ヴァル データ名 ヴァルノエル Valnoel 所属 創世機関【エターディア】 身長 220.0(可変) 性別 無性別(男性型) 生年月日 無 like ⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ dis like 暇 ID:Ⅱ-δ -000 データ固有名:ルノエリスタ/Runoelista Ⅱ-δ -000【ルノエリスタ】は、月歴4893年ユデリアより新たに〈災厄〉に分類されています。基本名称はエリスト。第一位により天空エリアに封印、監視されています。また、同日エターディア第三位〈神〉に振り分けられ、【ヴァルノエル】の名称を冠しました。 純白に限りなく近い白金色の柔らかな長髪、光加減により色を変える瞳を持つ美しいヒト形の容姿をしており、耳とされる場所には二対の白色の翼が生えています。形状は原初の国【カラス】に近いですが、その機能は特に準拠してはいないようです。 天空エリア、及びエリア内〈天使〉を統括しており、模造世界〈禁忌の封国〉を作成、管理している創世者です。 関連ファイル:[災約聖書][Innocent:Crime] ---以下楽園都市保管音声データ--- 【ID】:REC-PL49310316 【記録日時】:月暦4931/セレスタリア/16 【記録エリア】:パラディースト・ロギア-天空エリア 【備考】:なし 「虚構様。どうしたの?次の検査日はまだ先じゃなかったかな」 「災厄のおまえを、できる限り監視しておくことは当然だと思うけど?余計な口出しはするな、ヴァルノエル」 「うん、それもそうだね。安心して、私は何もしてないし、出来ないよ」 「どうだか。おまえは隠れるのが随分上手かったみたいだ」 「ふふ。隠しているつもりはなかったし、私は、今も私がどうして災厄なのか、分からないままだよ」 「……そんな事、別にどうでもいい。事実は事実だ」 「ふふふっ、君が言ったのに。まぁそれなら監視していてよ、少しの間、話し相手になって」 「少しだけだ。わたしはおまえと違って暇じゃない」 「うん、勿論、少しだけ」 Previous Next
- episode:03 再会 | 楽園都市管理室
戻る episode:03 再会 「生きてる……。……良かった〜〜!!」 「うおわっ」 その声の主、相変わらずパーソナルスペースという概念を微塵も知らないのであろうその男──広瀬秀は、のあに抱きついて肩に顔をうずめた。 「近いわ」 「あ、ご、ごめんなさいっ……すごい音して、僕、僕逃げてるとこ、見て、……っ、死んじゃった、かと……」 そう言った秀の大きな目から、ぼろぼろと大粒の涙が溢れる。ぎょっとした表情のまま固まるのあを置いて、秀は何度も小さく「良かった」と零した。 「ごめんね、助けに、いけなくてごめんね、僕歳上なのに、のあちゃん女の子なのに、ごめんね……怖かった……」 「べ、別に良いですけど……まぁ、あんたも無事そうで良かったです」 のあがそう言って笑うと、耐えきれなくなったのであろう、余計に目にたくさんの涙をためた秀が「のあちゃぁあああん」と再度抱きしめた。 「く、……くるしい…………」 「怖い、怖かった、ひとりにしないで、……置いてかないで……」 「いやどっちかって言うと置いてったのそっち……まあいいや……」 のあはと言えば棒立ちのままで、暫くの間そうしていると、ようやく落ち着いたのか秀が小さく「……ごめん」と呟いた。 「僕、僕ね、……僕強く、なりたくて、……だって年上だから、男だから、怖がってたらかっこわるいでしょ? だからね、こんな状況でも冗談言って笑えて、楽しんで探検できる、くらい……頑張ったん、だけど、……やっぱ怖いよ……」 そう言って、「のあちゃんはかっこいいね」なんて笑う秀に、のあは思わず吹き出してしまった。そんなのあの様子を見た秀の頭上に、そんなはずは無いのだが、たくさんの疑問符が見えた。 「かっこいい、って。あんた私が扉開けるのすらビビりまくってたとこ見てたじゃないですか、一瞬で名誉挽回出来ちゃった感じ?」 ああおかしい、とのあが軽く秀の頭を撫でれば、柔らかくふわふわとしたそれは、嫌がるどころか少し嬉しそうに、子供のようにのあの手に擦り寄った。 「あんたのが充分かっこよかったですよ、秀。例え強がりだったとしても、……まぁ冗談はちょっと下手かなって思いますけど」 「うん、……ごめんなさい。次からは、もっと気を付けるね」 「そもそも別に冗談言ってる場合でもないですけど、まあ、和ませようとしてくれてんなら……ありがとね」 そういうと、うん、と彼が笑った。 「……、あんた、どこかで██████████████████████████████████████████████████████ 「……ッ!!」 突如、のあの頭をノイズが走ったような激痛が襲った。それはほんの一瞬で、たった1秒にも満たないものだったが、大丈夫?と心配そうな秀の声が、やけに遠かった。 聞いたことがある声に、見た事のある表情。のあがそれを思い出そうとする度、思考のノイズがその記憶を邪魔してくる。そしてそのノイズは、どうしたって剥がすことは不可能そうだった。 「……、ごめん。行こう」 そう、方向を変える。今ののあには、使い慣れない敬語を使う余裕も、こちらを見る秀の表情を、見ている余裕もなかった。ふと思い出して、先程警備職員室で拾った小さな鍵をポケットから取り出した。 「武器庫の鍵? どこで見つけたの?」 「警備職員室で。普通に引き出しの中に適当に押し込まれてましたよ」 随分雑な管理してますよね、と付け足して地図を見る。秀の言う通り、この鍵には小さく「倉庫B」と書かれた青色のキーホルダーが付けられていて、そして地図上で「倉庫B(武器庫)」と書かれたその部屋は、丁度今私たちがいる目の前の扉を、開けた先らしかった。 「じゃ、行きましょっか」 「うん、そ〜だねえ」 ガチャ、と鍵の開く音がする。扉の向こうは少し埃っぽくて、電気を付けても尚薄暗い部屋だった。そして。 「……はっ、ゲームの中かよ……」 そして、壁にかかったりダンボールに詰め込まれていたり様々な銃やナイフ、そんな中に混ざっているせいで鋭利な武器にしか思えないアイスピックや、果たして一体誰が使うのか釘の刺さったバット……と、秀ですら、思わず「随分ファンタジーだね」とツッコミを入れたくなるような光景が広がっていた。 「ナイフ、借りてこうかな」 「使えるの? 怪我しない? 危なくない?」 「心配性だな……護身用に、一個くらいあった方が良くないですか? 銃だとリロードの方法とか分からないし」 「それもそっかぁ。うぅ……気を付けて持ってね」 「あんたは? いいんですか??」 「……僕、刃物苦手だから、大丈夫」 その返答に対して、のあは何かを言おうとした。しかし、そっと自分の腕を握りしめて目を逸らす秀に、それ以上何も言うことは出来なかった。 「あ……そういえばさ、のあちゃん。さっき逃げてる時見つけたんだけど、これ使えるかなあ」 「?」 そう言って秀から手渡されたのは、黒色のカードだった。ちらと裏面を見ると、そこには「Mihiro Hīragi」の刻印がされている。それは細かな傷一つない、綺麗なカードだった。 「さっき、向こうにカードキーないと動かないエレベーターがあってさ。もしかしたら出口とかかも! って思って。でね、どうにか開ける方法無いかなー? って探してたらこれ見つけたから……のあちゃんと一緒に行きたいなあって」 「……ひいらぎ、みひろ」 「そう、柊 実尋。大司教の双子の弟で、ここの司祭でしょ? どこにでも行けそうな感じしない!?」 そう言って早くも目を輝かせる秀が、地図を見せて欲しいと急かす。彼の言う奥まったその場所には、確かに小さくエレベーターらしき記号が書かれていた。向かう先は地図にも記載されていないが、出口へ通じている可能性はゼロ、とは言いきれないだろう。嬉しそうに先導する彼について、のあもその場所へと向かった。 『カードキーを認証してください』 辺りに小さく、無機質な声が響いた。先程受け取った黒いカードをかざすと、「ピロン」と可愛らしい認証音が鳴る。 『カードキーが認証されました。ID、パスワードを入力してください』 「……。……知ってます?」 「んーん、知らない!」 「ですよね……はぁ、そう簡単には行かないか」 探しに行く? と、毎度何故か探索には乗り気な秀と、相変わらず他に道もないので渋々同意するのあ。秀は早々に「じゃあ僕こっち探してくるね」と行ってしまったので、のあは彼の向かった方とは反対側に歩を進めた。いくつか部屋の中を探し回っているうちに、秀が最初に見回っていたはずの小さな部屋の扉が開いて、小さくこちらを呼ぶ声がした。 「……い、おい」 「? ……秀?」 「違う。そいつが戻ってくる前に、早く来い」 「……信用できる要素は?」 のあがそう問うと、声の主はほんの少しの沈黙を返す。そして、諦めたかのように姿を見せた。暗い黒の髪は肩に付くか付かないか程度の長さで、軽い外ハネになるようにセットされていた。ピンク色のメッシュが特徴的な、顔立ちは存外可愛らしい、身長の高い男性だった。 「……俺は、柊実尋。藍葉のあ、お前が持ってるそのカードキーの持ち主で、少なくともお前の敵じゃない」 「柊、実尋、って……秀からは、隠れていたんですか? こんな状況で、聖職者である貴方たちを信用しろ、って方が難しいとは思いますけど」 「それ、は……まあ、そうだろうな。俺でもそう思う」 軽く、サラッと認める彼、実尋に、のあもどこか拍子抜けしたのか若干警戒を緩めた。彼はどういう訳か、特にのあに危害を加える気は無いように見えた。 「……パスワード」 「?」 「必要なら好きに使え。俺の筆跡だ、疑われることもないだろ。IDは名前の上の数字だ、指示が無い限り英字は含まなくていい」 そう手渡された紙の切れ端には、確かにパスワードらしき数字の羅列が、直筆で記されていた。 「それ使ってどこに入りたいのかまでは知らないけど。もうアイツが帰ってくる頃だ、……気を付けろ」 そこまで言うと、実尋は若干慌てたように部屋に戻る。直後、「のあちゃ〜ん?」と気の抜けるような声が、向こうから聞こえてきた。 「ああいたいた、どーぉ? なんか手がかりあった?」 「……秀、……。……パスワード、見付けた」 「えぇ!? ほんと!?」 秀は本当に驚いた、とでも言いたげな表情を浮かべて、そしてちら、と先程実尋が引っ込んで行った部屋の扉を眺める。それは変わらない笑顔で、ほんの一瞬で、それでもどこか、何か、思うことがあるような。そんな表情にも見えた。 「やったぁ、これで外出られるねえ!……ああ、外かはわかんないか……とりあえず行ってみよー!!」 そう言ってのあの手を引く秀の力が、どことなく、ほんの少しだけ強いような、そんな気がした。 『カードキーが認証されました。ID、パスワードを入力してください』 先程の機械に、教えてもらったIDと、パスワードを入力する。 『……柊 実尋 ID:20040782 クラス:priest 認証が完了しました』 機会の稼働音がして、エレベーターの扉が重い音を発しながら開かれた。予想に反して、地下への一方通行のようだった。 無機質な飾り気のない、静かな四角い箱の中。秀が一言、口を開いた。 「ねえ。さっきのカードキー、僕が持っててもいい?」 「は?」 「だって僕パスワード知らないんだよ、のあちゃん、ほんとは僕のこと信用してないでしょ?」 「……そう思うなら、どうして渡すと思うんですか?」 「…………置いてかれたくない」 「……。はぁ、別に行きませんよ。ほら、そんなら持っててください」 信用していない。それは事実、といえば事実なのだが、当の本人からそう言われてしまうとそれはそれで腹が立つのがのあという人間だった。若干不機嫌がちにカードキーを手渡すと、秀は「え、」と声を漏らす。 「いい、の? ほんとに??」 「どーぞ! その代わり、勝手にどっか行ったら怒りますからね」 「っ、うんっ! 約束する、あの、」 「? なに」 「ありがとね、のあちゃん」 ポーン、と音を鳴らして、エレベーターが到着する。一直線の、純白のタイルが張られた短い廊下だった。正面に、両開きの鉄扉が構えている。重たい扉を開く。 「ひ、ッ」 先導していた秀が、怯えたように後退った。 ───噎せ返る程の、鉄と、腐敗の臭いがした。 少し前まで、心のどこかで馬鹿らしいなんて笑い飛ばしていた噂が、急に現実味を帯びて目の前に転がっていた。生温い空気が、立ち込める臭いが、赤黒くこびりついたその何かの塊が、目に、脳に、強烈に焼き付いた。のあの人間としての本能が、理性が、倫理が、その光景を拒否しているようだった。 「ぉ、え、」 逆流してくる胃の中のそれを、抑えることも出来ずその場に吐き出す。死体、とすら、形容できない、腐って爛れた肉の塊の中。その中に時折、まだ新しい人間の腕やら臓器やらが千切れて混ざっている。その場にある量こそ少ない──とはいえ優に10人分は超えるであろう──が、廃棄されたか、跡形もなく腐り果てたのか、明らかに10人やそこらが保有する量では無い夥しい量の血痕が、薄暗く小さな、穴を掘っただけのような部屋とも言えない部屋の中に飛び散っていた。 「何してるの?」 「!?」 不意に響く幼い少女の声に振り向く。ずる、びちゃ、と何かの音が響く。 「ゴミ捨て場で座り込まないでよ、邪魔だなぁ」 ───透き通るほどに柔らかな肌に、光をキラキラと反射する艶やかな白いツインテール。中学生にもならないような、まだ幼さも抜けきらないながらに美しいその容姿に良く似合う、フリルの沢山あしらわれた可愛らしい純白の衣服。それにじわりとよく目立つ、鮮血の赤色を染み付けた子供がいた。その子供は、のあのすぐ隣まで歩み寄ると手に持ち引き摺っていたその肉の塊を扉の中に投げ込んだ。 のあは、彼女を、知っていた。聖女マリアからとった名前を冠す、天使様と呼ばれる、人懐こく可愛らしい彼女を。 「みあ、ちゃん」 「ん? ……ああ、のあちゃん? ごめんね、暗くてわかんなかった。そっちの人は?」 そう言って、こちらに歩み寄ってぐい、と秀の顔を覗き込むミア。小さく引き攣った悲鳴を零して秀が後退る、その様を見て小さく「ふっ」と笑って見せた。 「そういえばなんか言ってたっけ? あんまキョーミなくてちゃんと聞いてなかったけど。そーゆーことかぁ」 「っ、ミアちゃん、これ何? なんであんたがこんな、どういう事なの説明してよ!!」 そう詰めると、ミアは面倒そうに溜息を吐いた。 「うるさいなぁ、こんな事で騒がないでよ。これ、全然良いお肉じゃなかったから捨てに来たの」 「は、? 良い、お肉?」 「ミア、お食事沢山作ってあげたでしょ? 柔らかくて、美味しいお肉だったでしょ? ミアが、ちゃーんと選んでたからだよ?」 ミアが、笑顔で、腕を広げた。“天使様”の振る舞う料理はどれも絶品で、天使の加護だと、いつも信徒達に大人気だった。そしてのあも、好んで食していた。彼女の作る、得意とする、肉料理を。 「ま、って、……待ってよ、そんな、」 「勿論、救済の過程で魔力は抜いてあるから、大丈夫だよ。害はない。というか、適度な魔力を浴びながら育ったお肉はね、柔らかくって、肉汁た〜っぷりで美味しいんだよ?」 肉だけ剥ぎ取られたような、死体が見える。 四肢が、指が、バラバラにされた、死体が見える。 内臓を引きずり出されて、解体された、死体が。 「のあちゃんも、知ってるでしょ?」 「ッ、ゔ、」 胃の中身は、もう残っていなかった。胃液がこみ上げる。震えが、涙が、止まらない。同じように震える秀の手が、それでものあを慰めようとするかのように優しく肩を撫でた。 「随分怖がってくれてるみたいだけど、ミア悪いの?」 ミアの血に染まった両手が、彼女の純白の衣服を汚した。 「ミア、ずーっとこうやって生きてきたんだよ。これが当たり前なの、こうしろって言われたの、何が悪いの?」 その言葉は、言葉だけは、まだ純粋な子供のようにも聞こえた。それでものあは、子供だから、なんて。それで救われるのなら、なんて、言えるわけがなかった。 「……、それでも、……それでも私は、あんた達のこと、最低だとしか思えない」 「そう? 残念、同情作戦だいしっぱ〜い」 ミアはそう言って、見下したように目を細める。血塗れの手を口元に添えて、あは、と笑った。 「今だって、何も気付いてない癖に。……あははっ」 「は? どう、いう、」 「ミア着替えなきゃ。じゃーね、ばいばい」 血染めの天使が、ふわ、と軽い足取りでエレベーターの隣の階段へ向かった。優しく、寄り添う天使様なんかじゃない。無慈悲で、無情な、残酷すぎる天の使いのようだった。 「……え、あ」 不意に、秀が小さく声を漏らして、一点を見つめたまま固まった。先程、ミアが持ってきた遺体の方。呼びかけても、ただ沈黙が帰ってくるだけだ。 「……秀、秀? どうし……」 「あ、ああ、ごめん。……昔の友達だったんだ。さっきミアちゃんが連れてきた子」 「え」 「残念だなぁ、こんな所で、こんな形で、会うなんて。……本当に、残念」 「……」 秀の手が、優しくその血に塗れた頬を撫でた。 「……、残念、って」 「行こっか」 「……」 その手が、無理矢理のあの手を引く。ぬるりとした血の感触が、まとわりついて気持ちが悪かった。先程ミアが昇って行った階段以外に特に道は見当たらない。階段の先はきっと元のフロアだろう。幅の狭い石の階段、先を行く彼が、のあの手を離す。一段目に足を踏み出した、瞬間だった。 『ビーッ!ビーッ!』 「!?」 耳を裂くような警報の音に一瞬のあが怯んだ、その瞬間だった。秀とのあの間に、ちょうど隔てるかのように勢いよく鉄の壁が落ちてきた。 「ッ、ねえ! そっちから開けられないですか、っ、出して……」 シャッターを叩いてそう声を張り上げてみても、声は通らないのか秀からの返事は無い。それでも、カードキーとパスワードを、秀は持っているはずだ。 ぬるりと、のあの手に付いた血が触れた壁を染めた。 「……放置、しない確証は無い、か」 肉塊にまみれた、辺りを見渡した。これで終了だなんて、そんなの認められなかった。 「脱出ゲームってこと、ね……」 血の海へ、1歩踏み出した。 グチャ、と、生々しい嫌な音がした。 戻る 次へ Up
- 災約聖書 | 楽園都市管理室
< Back 行き着く先は神聖なる喜劇か、或いは災厄による悲劇か? 天使に意思などない 天使に情などない 天使は神にはなり得ない 彼女は選ばれた 聖なる神の御使いに 彼の魂宿る器に 運命に従う神の玩具に 救世主は救済者ではない 全ては尊き我が主の愛の為に 全ては完全で唯一なる創造主の御心のままに 最低で最凶である唯一無二の災厄の望むままに 〈悲劇とするか、喜劇とするか。それは君次第だよ、ノア〉-??? 3L/流血/欠損/異形/差別/宗教表現 有 Story 『ヴァルミナ旧教』 それはこの世界で一番の信者数を誇る宗教だ。それは勿論のあ達の住む中央大司教区も例外ではなく、聳え立つ大聖堂は純白と金色で統一されており、咲き誇る一面の青薔薇と美麗な噴水、そして十字架はヴァルミナ旧教の規模の大きさを象徴するには十分過ぎる壮大さだった。 しかし一見美しいその宗教はどうやら、一部の間で密かに“殺人宗教”と噂されているらしい。 行方不明の親友を探し、噂を頼りに大聖堂に乗り込んだのあは『祓魔棟』と書かれた“存在しない階”に迷い込む。 ──そこには攫われ、囚われた悪魔や異教徒達が非人道的な実験を受けたり無慈悲に惨殺されたりした痕跡が、血みどろで絶望に満ちたあまりにも現実離れした光景が広がっていた。 第三位【神】ヴァルノエル 災約聖書 サイコ/ホラー/サスペンス/スプラッター 序章/A,B,C,D,E 本章/A,B,C,D,E 他『最終章』S
- セライア | 楽園都市管理室
< Back セライア データ名 セライア Seliar 所属 ██████ 身長 160cm 性別 無性別 生年月日 無し like ██ dis like なし ID:Ⅳ-α-202 データ固有名:セライア/Seliar Ⅳ-α-202【セライア】は、エターディア第一位〈虚構〉により作成され、模造世界〈夢遊の海淵〉世界ベース〈██〉に存在するデータファイルです。Ⅳ-α-201【ユリウス】を導き、流れ込む「あくむ」を除去する事で〈夢遊の海淵〉を守り続けるという役割を与えられています。 深海のような青色の髪に、淡い水色と黒色の左右で違う瞳を持ち、その瞳の中には虚構を象徴するかのようなバツ印が浮かんでいます。中性的な容姿をしており、明確な性別は定められていません。 関連ファイル:[罪過の愛が溶ける迄] ---以下模造世界音声データ--- 【ID】:REC-IW██████ 【記録日時】:██████ 【記録世界】:夢遊の海淵 【備考】:一部破損あり 「セライア。目を開けて」 「君は、……。貴方は、虚構様?」 「見たらわかるだろう。自分の創造物だよ。わたしの知識くらい入れたはずだ」 「それもそうだね、大変失礼しました、我が創造主。それで、どうして僕を創ってくれたのかな」 「わたしの世界に、新しい世界ベースを構築した。███の██世界をベースにした世界だ。おまえには、そこの維持を任せたい」 「成程?それは随分と重大な役目だね!」 「おまえに任せる世界ベースは、わたしの創り上げる楽園の、核となるだろう。別に悪い話じゃないはずだ、おまえはただ、簡単な歪みを除去してくれればいい」 「虚構の楽園都市を、真の楽園へ、と言った所かな?いいよ、任せて。僕はきっと、この世界が好きだから」 「……。楽ではないよ、失敗は許されない。肝に銘じておくことだ」 「うん、〈虚構〉ヴァストエル様。勿論……それに僕だって、そう簡単に消えてしまいたくないからね」 Previous Next
- Innocent:Crime | 楽園都市管理室
< Back その無邪気さは脅威となり、世界に牙を向くだろう。 世界が、崩れていく。 温もりが消えていく。 一生、覚めない夢のはずだったのに。 3L/異形/欠損 有 Story 誰より無垢な最愛の貴方は、災厄と呼ばれた。 夢を見ていた。愛おしい夢を。幸せな夢を。 どうか奪わないで、覚めないでと願えど、夢は夢。手を伸ばせど永遠に届かない夢幻。 いつかはなくなる、けれど暖かな、儚く脆い、陽だまりのようだ。 苦手な世界も、貴方が手を引いてくれるから、前を向いて歩いていけたのに。 守りたかった、貴方が消えていく。 子供のように好奇心旺盛で、可愛くて、大好きな⬛︎⬛︎。 貴方を奪い去るこんな現実、いっそ⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ ──災厄の伝播を確認しました。データ破⬛︎箇所確認中、エターデ⬛︎⬛︎第二位から第七⬛︎は、至急⬛︎⬛︎⬛︎── 創世者:無し Innocent:Crime スプラッター/ダークファンタジー ルート分岐/無し
- ノエル | 楽園都市管理室
< Back ノエル データ名 ノエル・ヴァレンツァ Noel・Valenza 所属 ヴァルミナ旧教 身長 195.0 性別 男性 生年月日 不明 like 神 dis like ⬛︎⬛︎⬛︎ ID:Ⅳ-δ -301 データ固有名:ノエル・ヴァレンツァ/Noel・Valenza Ⅳ-δ -301【ノエル・ヴァレンツァ】は、エターディア第三位〈神〉により作成され、模造世界〈禁忌の封国〉に存在するデータファイルです。 〈神〉を信仰する宗教【ヴァルミナ教】の、教祖という立ち位置です。救世主クライスト同様、一度死亡したものの復活を遂げたとされ、教祖という立場でありながら自身もまた信仰の対象にされる事が多いです。創世者ヴァルノエル同様の純白の髪を持ち、瞳は閉じられた盲目の男性とされています。厳格で冷静、しかし穏やかで真に神を愛する彼は、信徒達からも慕われています。 関連ファイル:[災約聖書] ---以下模造世界音声データ--- 【ID】:REC-IW00000000 【記録日時】:0000/00/00 【記録世界】:禁忌の封国 【備考】:一部ファイル破損あり 「ヴァルノエル。俺は、……俺には、貴方が███████存在だなんて思えない!どうして、貴方が……貴方は……っ」 「ふふ。こんな私の元に生まれて、契を交わす君達は、とっても可哀想だね」 「……そんな事ない……」 「そうだね、君はそう返す。そうとしか返せない。だって、君は私の創造物だから」 「……」 「そうだ、ねぇ。君に私の名前、貸してあげる」 「は?」 「ノエル。君は、ノエル。ノエル・ヴァレンツァ。そうして生きていくといい、君に、私の世界に私を広める、大事な役割をあげる」 「そんな事急に言われたって、俺は██なんだぞ、分かってるのか!?」 「私に、分からないことがあると思う?君は許可するよ。そう言ったら、私の言葉を、君は否定する。……しようとしたでしょ?ふふ。だけど、この言葉で、その否定を飲み込んだ。だって、私が今、君という像をそう定めたから」 「……はぁ。わかった。貴方に何を言おうと、基本無駄だからな」 「そうだよ。私は君達という存在を創造し、定義するもの。君達の正解で、君達の意思。私が神なんだから、当然でしょ?」 「ヴァルノエル」 「ヴァルでいいよ」 「……ヴァル。俺は、貴方を信じ、愛し、貴方の為に生きると誓おう。貴方に選ばれた、教祖ノエル・ヴァレンツァとして」 「うん。誓って」 Previous Next
- 藍葉 のあ | 楽園都市管理室
< Back 藍葉 のあ データ名 あいば のあ 藍葉 のあ 所属 星光大学 文学部 身長 158.3 性別 女性 生年月日 1995/4/5 like ゲーム dis like ホラー全般、外出 ID:Ⅳ-δ -202 データ固有名:藍葉 のあ Ⅳ-δ -202【藍葉のあ】は、エターディア第三位〈神〉により作成され、模造世界〈禁忌の封国〉に存在するデータファイルです。禁忌の封国内では珍しく、“選択”能力を与えられており、彼女の選択次第で複数個の世界データが確認されています。 〈神〉を信仰する宗教【ヴァルミナ教】の、信徒という立ち位置です。創世者ヴァルノエル同様の純白の髪と藍色の瞳を持ち、大きな黒色のリボンが特徴的なやや中性的な女性です。ホラーが極めて苦手で怖がりな少女ですが勇気や正義感も持ち合わせており、時折独特なセンスを光らせる所があります。 関連ファイル:[災約聖書] ---以下模造世界音声データ--- 【ID】:REC-IW20141205 【記録日時】:2014/12/14 【記録世界】:禁忌の封国 【備考】: 「のあ〜!ほら起きて起きて、もう朝よ!」 「あ、む……ゔッ眩しい日光が」 「何言ってるのよ、真夏でもあるまいし。血筋は薄いとはいえ、悪魔の私でさえ大丈夫なのよ?なーんで人間のあなたが負けちゃうのよ、ほらねぼすけさん、起きなさい!」 「ゔぁーー……」 「ゾンビみたいな声出さないの!また夜遅くまでゲームしてたのね?全くもう!」 「へへ、イベントの限定衣装が浴槽で……」 「浴槽……??衣装が???」 「凄いんだよ?フィールドの滝とかで水貯めれて、走ったら中身こぼれるし、追い炊き機能付き。しかも時間経ったら冷めるし、湯気で熱さまでわかっちゃう!」 「あははっ、何それ。手に入れたの?」 「もっちろん!」 「そう、よかったわね。今度見せてちょうだい!」 「うん、今度一緒にやろ?亜夢。ゲームじゃなくてもさ、亜夢とならやりたいこといっぱいあるんだ」 「あら、随分情熱的なお誘いね?なんだって付き合うわよ、可愛いのあ。その乱れた生活リズムを直すならね」 「……私のが年上なんだけどなぁ……」 Previous Next
- 神咲 東 | 楽園都市管理室
< Back 神咲 東 データ名 かんざき あずま 神咲 東 所属 ヴァルミナ旧教 身長 173.8 性別 男性 生年月日 1979/11/20 like 紅茶、造花 dis like 悪魔 ID:Ⅳ-δ -356 データ固有名:神咲 東 Ⅳ-δ -356【神咲東】は、エターディア第三位〈神〉により作成され、模造世界〈禁忌の封国〉に存在するデータファイルです。〈魅了、洗脳〉の能力を与えられています。 〈神〉を信仰する宗教【ヴァルミナ教】の、枢機卿という役割を与えられています。細身で漆黒の髪と月光色の瞳を持ち、秀でて美麗な中性的容姿を持ちます。穏やかで柔和な雰囲気を漂わせますが、芯があり、意思の強い男性です。 関連ファイル:[災約聖書] ---以下模造世界音声データ--- 【ID】:REC-IW20121202 【記録日時】:2012/12/02 【記録世界】:禁忌の封国 【備考】:なし 「……神咲、様、どうして」 「どうしてもなにも。逆に、どうして私に希望を抱けたのでしょう?」 「だって、神咲様は、私たち悪魔にも優しくて」 「ええ。今は貴方達とも共存していく、という価値観が一応主流ですからね?勿論合わせておりますよ。本気にしてしまったのですか?全部嘘ですよ、う、そ♡ふふっ、哀れですねえ」 「……」 「そんなに怯えないでください、私達が与えているのは救済なのですよ。貴方達悪魔の魂が、神のみもとに凱旋する為の儀式です。残念ながら、まだ肉体は耐えきれませんけれど」 「そんなイカれた信仰、許されるとッ」 「あの子達は、こう言うと勝手に従ってくれるんですよ。お好みではありませんか?それなら、貴方にだけ特別に」 「!」 「これも、ぜぇんぶ嘘ですよ。馬鹿な信者を操る為の口実でしかありません、私が、貴方達のこと嫌いなんです。だから死んでください。精々苦しんで、せめて愉しませてください、穢らわしい悪魔さん」 Previous Next
- episode:05 煉獄 | 楽園都市管理室
戻る episode:05 煉獄 「あああああ!!!! 頭おかしくなりそう!!!!」 一人そんな悲鳴にも似た叫び声をあげるのは、地下に閉じ込められたのあだった。見渡す限りの死体、肉塊、血、血、血。気が狂いそうな程の血と腐敗の臭いにも、もう鼻が慣れ始めてしまっていた。 「くそ、もーー早く帰らせてよログボもイベントも逃してるのにーー!! たすけてーーーー!!」 もう何分たったのだろう。のあの青色の服は、裾が血で汚れて赤黒く変わっている。買ったばかりの白いスニーカーだって、血の跡がもう、何度擦って洗ったって落ちなさそうだ。 エレベーターの扉が、開く音がした。 「ッ!?」 咄嗟に死体の山の影に隠れた。綺麗なウェーブがかかった金髪の女性と、ミアと同じように純白の髪を持つ男性の姿。当然のように死体を投げ込むその二人は、こんな場所にいるには異質な服装から見て取れるように、ここの組織の一員だった。 「……あれ? 真尋さっきここって言ってなかったっけ?」 「言ってた……と、思う」 「だよねー? ついでに様子見とこうと思ったんだけど……まいっか。どっかにいるでしょ。手汚れたからお兄ちゃんが鍵出してよ」 「ああ、閉まってるのか。鍵……、あれ、鍵どこやったっけな」 「えー!? 何やってんの、後でちゃんと探しときなよー?」 「ああ、そうする。悪い」 そう雑談しながら、女性の方が操作パネルにカードキーを翳してなにか入力した。暫く後、エレベーター横、鍵のかかった鉄製の扉が、二人を迎え入れるように開いた。二人が居なくなって暫くしてから、先程触れていた操作パネルに、のあも触れたが、操作不可能の注意マークが出るだけで、どうやら動かせそうになかった。 「……。どう考えても、柊実尋のカードキー必要な場面じゃん」 こんな事になるのなら、一時の怒りに任せて、渡すんじゃなかった。しかし、後悔先に立たずだと、のあはくるりと踵を返した。先程二人が持ってきた死体、小柄な女性は、ミアの“お肉”にはならなかったようで、比較的綺麗なままだ。職員らしき服装をしていた。 「……、心苦しい〜……けど……失礼します……」 彼女をほんの少し抱き抱え、使えるものがないか探した。しかし彼女は、全て回収されたのか元からなかったのか、それ自体は定かではないが一つも物を持っていなかった。そもそもなにかを見付けたところで、パスワードが必要とでも言われたら、ここにはヒントすらもない。しかし、かといってのあには、他に縋るものもない。それなりに、運はいいと思っていた。もう、あとは秀が何かを見つけて戻ってくるのを願うことしか出来ない。他人任せ、それほどのあにとって信用出来ないこともないだろう。脱力したように腕を下ろした、その時だった。 「ねぇ、君」 「!?」 背後から、少女の声が聞こえた。それは空耳さえ疑うほどに小さな、かすかな声で、しかしはっきりと、確かにのあを呼ぶ声だった。 「そこの君だよ、純白の髪が綺麗な君。今振り向いた、そう。ねえ、少しこっちに来てくれないかな?」 声の方に向かうと、グレーの髪を一部猫耳のように結った少女が、鈍く光る深紅の瞳でこちらを見上げていた。 「ひッ……」 「やあやあ、初めまして。突然のお願いで悪いんだけど、コレ、抜いてくれないかな? 身動き取れなくてさ」 露骨に実験台専用と言いたげなその服装、細い手首には手錠がかけられている。小さく薄い腹に似合わない、太く血で汚れた鉄の棒が、横たわる彼女に垂直に突き刺さっていた。 悪魔は、人が死ぬような怪我で死ぬ事は無い。のあの目の前の景色の通りだが、貫かれたままで彼女はそう語った。あまりいいとは言えない感触、その鉄柱を引き抜いた。ぐちゃぐちゃと、みずみずしい音と共に、彼女のその傷が塞がっていた。そうして、しばらく後に彼女は立ち上がって、笑った。大きな赤い目でのあの事を見上げる、小さな少女だった。 「ありがとう! 助かったよ。刺さったままじゃあ治癒も効かないし、だっていうのに手錠のおかげでどうにも取れなくてさ。下手に動いたって痛いだけだし、困り果てていたところだったんだ」 「そ、そう……なんですね?」 「別に敬語なんて使わなくていい、私は君より幼く見えるでしょ? 私は古森 夜宵(こもり やよい)。君は?」 そう自己紹介をする彼女──夜宵に、のあも自分の名を返す。夜宵は「そっか。どうぞよろしくね」と、あっさりした言葉を返した。 「それで、この施設から出る手立てはあるのかな?」 夜宵の言葉に、のあは沈黙を返した。それは、施設どころか、ミアがゴミ捨て場と称したこの場所からすらも、出る手立てなどは見つかっていないからだった。 「……見つかっていないようだね。でも、それなら私は少し力になれるかもしれない」 そう言って夜宵が、隠し持っていたらしい白色のカードキーをのあの顔の前に翳した。そのカードキーには、「Rēto Mochizuki」と刻印が刻まれている。 「それ、……」 「天使専用のもの。もっと詳しく言うのなら、先程ここに来た子のもの。……何、彼は純粋な子だ。持ち物の紛失だなんて珍しくもない、誰も盗まれた、 なんて思いやしないよ」 夜宵はにっこりと笑顔を作って見せると、そのカードを今度は乱雑にポケットにしまった。 「とはいえ、私はパスワードまでは知らない。解除は、君の運頼みになってしまうかな?」 夜宵のその言葉の後、二人の間にはしばらく、あるいはほんの一瞬の沈黙が流れた。そして、運がいい、つい先程自信でその思い込みを否定することになったのあの、絶望か、はたまた怒りにも似た叫びが響いた── 「はぁ!? 結局運なの!!??」 ──と。 一先ず、眺めて悩むよりは行動に移してしまうのが吉だと、操作パネルの前へと戻った。カードをかざす。入力画面は随分独特で、黒、緑、黄、青、赤色の薔薇の形のボタンが用意されていた。夜宵は後方で、のあが文句を言いながら適当にパネルを操作している所をただ黙って眺めていたが、退屈だったのか暫く後に勝手にそこに置いていたのあの荷物を漁り始めた。 「ちょっと、物色しないでくれる?」 「うん。……ああ、でも、随分いいもの持ってるじゃん」 そう言って、一枚の紙──手書きの地図を、夜宵は「ふぅん」と流すように眺めた。そして、暫くそうした後で、特に面白い、楽しいといった感情からくるものではないのだろう笑顔で小さく、くすっ、と笑った。 「これ、望月零翔の筆跡だよ。地図自体はほんの少し古いもののようだけど、誤差の範囲。そんな事より、やっぱり君は運がいいよ」 神様とやらに随分好かれているのかな、そう言って夜宵はそれをヒラリと裏返すと裏の文字──至高の天空に咲く純潔の象徴、その文字を、不敵な笑みでのあに見せた。 「ここに答え、そのまま書いてある。記憶媒体に限界が近い分、簡易的に変更された特別仕様のパスワードさえ、覚えていられないんだろうね。彼が非人間体、且つ不完全体であることが、私達に幸をなした」 さも当然かのように、夜宵はそう語る。 「……非、人間?」 のあのその、ポロと零れた疑問に、夜宵はようやく「ああ」と呟いた。 「彼は人じゃないよ。君、天使実験は知ってる?」 夜宵の言葉にのあが首を振れば、夜宵は「そう」と俯いて、言葉を選ぶようにして紡いだ。 天使実験。夜宵が言うにはミアもその被害者で、十歳にも満たない幼い子供を選んで、被検体とした、きっと誰が聞いても残虐だと言うような人体実験の話だった。 「私も詳しくはないんだけどね。彼は天使実験が始まったばかりの頃、もう10年以上前になるかな? その時に使われていた人形(ドール)のひとつだったはずだよ。最も、完全体が生まれなかったことで、今の人体実験に移行したようだ」 そう言うと、夜宵は溜息を吐いて、やれやれといった様子で首を振った。 「全く、勝手な話だよね。それだけだよ、早くパスワード解いてくれないかな。答え、あるんだから簡単だよね?」 地図をのあに押し付けてくるりと踵を返した夜宵は、壁にもたれてそのまま退屈そうに地面にしゃがみ込んだ。一切手伝う気もない、恐らく答えも知っているのだろうにヒントも与える気がないその様子に、のあは果たしてこいつは脱出する気があるのだろうか、とでも言いたげな若干の不服さを滲ませた。 「……白なんてないけど」 「あるよ。あるよ、探してご覧。光に目を向ければ、見えるはずだよ」 のあの問いに、夜宵は地面に落ちた石の欠片を転がしながらそう答えた。相変わらずの夜宵の様子に、諦めたようにのあは操作パネルに向き直る。表示されているのはやはり、白、なんかには程遠い、カラフルな画面だった。少しひび割れたその画面は、一部画面に縦線が入っている。暗いこの空間で薄ぼんやりと光を放つパネルは、それだけでも少し不気味だった。何度見ても、白色の薔薇なんて無い。黄色や青色なんかと違って、混ぜ合わせた所で白になる色なんてない。 「……、白?」 ふと、夜宵の言葉が反芻した。光に目を向ければ、見えるはずの白。白く微かに光る画面は、赤、緑、青色の三色に縦線が入っていて、そしてのあの脳裏には、ほんの少しだけ聞き覚えのある言葉が浮かんでいた。 「……光の、三原色……」 別名、RGB──レッド、グリーン、ブルー。白の光を構成する三色。分かりやすく画面の縦線と、同じ色の薔薇を選んだ。小さな音で、ピロン、と認証音がした。固く閉ざされていた扉が、いとも簡単に、二人を迎え入れた。 「あい、……た」 「うん。すごいじゃん」 夜宵が、一足先に扉の先に進んで、早く行こう、と振り返った。「ほぼ何もしてない癖に何先導してんのさ」と、のあも足を踏み出す。夜宵は、変わらない笑顔で、しかしほんの少しだけ楽しそうに、その言葉に笑って返した。 相変わらず、嫌な光景だ。彼らもこんな所から出たいだろう。生きて、外に出たかっただろう。それは例え神に祈ったところで変わらない、凄惨な景色だった。 「……あんたはさ、ここから生きて出られると思う?」 短い廊下だった。のあのそんな質問に、夜宵は「勿論」と自信ありげに返してみせた。 「懸念点を挙げるとするなら……神咲 東(かんざき あずま)。彼が戻ってきたら、私たち二人、揃って生きて出られる確率は1%にも満たないんじゃないかな」 夜宵の言葉に、のあは「は」と一言発する事しか出来なかった。そんな様子を気にとめることもなく、廊下を突き進み、扉の先へ進んでいく夜宵。「立ち止まってるなら置いていくよ」の声に、ようやく意識を戻したのあが、小走りで夜宵を追いかけた。 白色の、相変わらず重たい扉を開ける。その先の空間に、眩しさすら感じた。先程のコンクリート造りの灰色の空間とも、はたまた洞窟のような空間とも違う、見渡す限りが異質な程に純白のフロアだった。壁や床、扉に家具。唯一白でなかったのは、先程も見た謎の機械。生温い風邪を発し、謎の数値が表示されている、所々に配置されたこの機械は、夜宵が言うには【魔力濃度調整器】と呼ばれている代物らしかった。 緑色の数値──現在は0.02と表示されている──は、現在大気中に流れる魔力の量。魔力は、大気中に増えすぎると人体には害があるものだった。悪魔が常に微量放出している魔力は、普段生活する分には問題ない程度だが、この場所は密室に悪魔を、それも精神的に穏やかとは言い難い状態で集めている。その為、大気中の魔力濃度が非常に高くなりやすいのを、こういう形で対策しているのだろう。魔法の使用を最大限制限し、魔力をジワジワと奪い、その回復さえも防ぐ事で力のある悪魔の反逆を事前に防ぐという目的もあるのだろうと、夜宵は語った。 機械から排出される生温い風は、人体には無害な、教会が独自に研究、開発した人工元素フォルタシウムを主成分とした特殊な薬品で「フォルタシア」と呼ばれた。魔力を打ち消す効能を持ち、悪魔を弱体化させる霧のようなものだった。 幻想のphantasia(パンタシア)と、幸運のfortuna(フォルトゥーナ)から名付けられた新たな元素「fortasium(フォルタシウム)」。この元素は、研究職に就く朽木類(くちぎ るい)、枢機卿の真宮紫月(まみや しづき)、そして当時大司教だった神咲東。教会内でも屈指の知能と能力の持ち主である三人が共同で、中心となって開発したものだ。この元素は、悪魔のいない楽園への第一歩だと信じられた。人類の抱き求めた幻想が、現実になる程の幸運をもたらすと信じられた。 詳しいね、のあがそう言えば、夜宵はほんの少しの間、その説明を止めた。そして、軽く振り返って、肩越しにのあを見た。 「こんな事、詳しくない方がいいんだよ」 そう微笑んだ夜宵は、今までの笑顔よりもずっと優しくて、寂しそうな笑顔に見えた。 「兎も角だ、これが機能している限り、私達は常に力が制限されているのと同義ってことだよ。魔法なんか使えない、打ち消されるだけだからね。つまり今の私達はか弱い人間と同程度」 夜宵はその後、振り向くことも、立ち止まることもせずにそう語る。が、不意に立ち止まったのあに気が付くと、溜息混じりに踵を返した。 「ちょっと。いまはそんな機械で遊んでる場合じゃないでしょ? 神咲に私達のことが伝わる前に出たいんだ、早く……」 「声がする」 そう言うと、のあは「は?」と珍しく意味がわからないという表情をする夜宵を置いて、来た道を戻った。 先程出てきた扉の、少し手前。小さな扉だった。カード認証式の扉を、先程のカードキーで開ける。誰かの啜り泣くような声がした。暗い部屋に牢がいくつか用意されていて、扉がしまっているのはそのうちのひとつ、一番扉から遠い牢だけだった。 「……だれか、いるの?」 それは、幼い子供の声だった。 「いるならだしてよ、お願い、怖いよ、かえりたい……」 声の方向へ、のあが進む。夜宵は、扉の所で腕を組んで退屈そうにしていた。 牢に捕らわれていたのは、まだ十歳にもならないような幼い少年だった。茶色く柔らかそうな髪質で、白が基調の和服を着ている。とはいえ、形こそ和服に見えるが、裾にあしらわれたフリルや装飾は、随分豪華に崩された雰囲気だった。小さなその子は硬い石の床に座り、袖で涙を拭うように見えた。 「……大丈夫?」 のあがそう問いかける。顔を覆っていた袖から覗く、天使のように純白の瞳が、のあの目を見た。 「あれ。関係者じゃないの? なぁんだ」 幼い子供の悲痛な泣き声は一瞬のうちに消え去って、その少年は、まるで大人のような強気な笑顔で「初めまして」と笑って見せた。 「ねぇ、君も閉じ込められたの? 教会の関係者じゃないよね、だって後ろに悪魔を連れてる」 「……あんたは、……何者?」 「人に名前を聞く時の礼儀、年上なのに知らないの? まあいいや。僕は瀬名。世継 瀬名(よつぎ せな)。気軽に瀬名様、って呼んでいいよ、お姉ちゃん達は?」 その問いに、のあが返そうと口を開くと、後ろから夜宵が「あのさ」と口を挟んだ。裸足の彼女が、軽い足取りで瀬名の前に立ち、腰を曲げて、笑って目を合わせた。逆光でさらに暗くなった夜宵の、真っ赤な瞳がよく目立つ。 「世継、瀬名君? ……その名前と言い、君、ソッチ側じゃないのかな」 と、夜宵のしなやかな指が瀬名の瞳を指した。対する瀬名はと言えば、どうしてか満足気ににっこり笑顔を作り、その手を取って指を絡めると「あは」と笑った。 「僕のこと、信用できない?」 「別に、私は信頼関係なんかはどうだっていい。ただお互いに良い関係を、築ける相手と関わりたいだけだよ。教会の人間相手じゃ、難しいと思わないかな?」 夜宵の言葉に、瀬名は楽しそうに、場には不相応に、年相応に──とはいえ、瀬名の正確な実年齢まではのあの知り得たものではないが──無邪気に「あははっ」と笑った。 「うん、お姉ちゃんの警戒心は正しいよ。だって実際に僕は今、君の力を利用してる」 その言葉に、夜宵が身構えて瀬名の手を振り払う。笑顔のまま瞳を開けた瀬名の純白の瞳には、悪魔のように真っ赤な瞳孔が浮かんでいた。 「ああ、良かった。魔力が足りなくてさ、これでやっと立ち上がれる。安心していいよ、そんなに大量には奪ってないから」 「……君は、天使? それとも、悪魔なのかな」 「さあ。僕も分かんない、けど少なくとも君達の敵じゃない」 立ち上がって尚、のあより小さな夜宵よりも、更に頭一つ分程度小さい瀬名。牢の中を、数歩歩いた。そんな彼の小さな腕が格子の隙間からのあに伸びて、小さな掌が、服の裾を摘んだ。 「ねえ、お姉ちゃん。ここの鍵探してきてよ。あと僕の荷物も」 それは、幼い子供のお願いというには随分と、断らせない、と圧すら感じさせる言葉だった。ほんの数秒の沈黙の後、瀬名が「ところで」と口を開く。 「人には自己紹介させておいて、まさか君達は名乗らないつもり? 随分立派なご身分なんだね」 その言葉に、のあは「あっ」と声を漏らし、夜宵はと言えば、若干渋々ともいえる様子で小さく自身の名を発した。 「のあちゃんに、夜宵ちゃん。どうぞよろしくね、良い関係、築けたら嬉しいな?」 そう言った瀬名は、小さく眠たそうに欠伸をすると牢の奥、簡素なベッドに座る。それは彼では足も地面につかない、大人用のベッドだった。 「……何見てるの? 早くしてよ、ここ退屈なんだよね」 ちら、とのあ達の方を見た瀬名が、表情は別段不機嫌そうな訳ではないが、そうともとられるような言い回しでそう言い放った。 「わかった、わかった。全く、仕方のない子だなぁ……荷物の特徴は?」 「赤色の羽織と、赤い宝玉のはめ込まれた杖」 「これはまた随分独特だね、分かりやすそうで助かるけど。まぁ君は少し眠って待っているといいよ」 夜宵の言葉に、瀬名は笑って「ありがとう」と返した。あの性格でお礼が言えるのか、とでも露骨に言いたげな表情をしたのあが瀬名を見つめると、それに気が付いたのか今度は多少不服そうな顔をした瀬名が「早く行きなよ」と急かした。 脱力してベッドに横になる瀬名に背を向けようとした、その時だった。 「驚いた」 「!」 声がした。油断した、と思った。 ──頭痛がする。酷い頭痛と、悪寒がする。嫌な予感がして、心臓がドクンドクンと脈を打つ。聞き覚えのある声だ。この、声。この声は。 「出れたんだ、良かったぁ! 心配してたんだよー」 そんなのあの予感とは違う、間延びした、明るい声が暗い室内に響いた。 「……秀……?」 「なーんだ、せっかく今さっきあそこの扉解除できたのに……まぁ出れたんならなんでもいっか。無事でよかった」 その言葉に、何か返そうとしたとしたのあの口は、空気だけを発した。残念、先程そう言った時の秀の表情は、暗くて、それに座って下を向いていたから、あまり印象には残っていなかった。そのせいか、まとわりつく血液の生温かさだけが、妙にのあの掌にこびり付いていた。 「えっと……君は、はじめましてだよね? 広瀬秀っていいます」 「初めてじゃないよ。ゴミ捨て場とやらに、藍葉と二人で来てたのを知ってるからね」 その言葉に空気がピリついたのを、少し鈍感なのあでさえ感じた。「そうなんだぁ~?」と穏やかに返す秀の目の奥に、のあの知らない表情が見えた気がした。 「いいよ。穏やかぶらなくていい、広瀬。私は見てたからね。君でしょ? シャッターを閉めて、彼女をあそこに閉じ込めたのは」 ふわりと、秀が微笑んだ。 笑顔のままで、ただ穏やかに、秀は言った。 「そうだよ」 ──と。 「は? そ、う……? そうって、何? あんた私の事騙して、ずっとじゃあ、殺そうとしてたの!?」 のあのその言葉に、秀は今度は慌てたように「違う!」と返した。先程の大人びた知らない表情の秀ではなくて、泣きそうな、子供っぽい、よく知る秀の顔だった。 「違う、ちがうよ、そんな訳ないでしょ……」 そう俯いた秀は、少し考えたように沈黙すると、やがてぽつりと言葉を零して、紡いだ。 ──柊真尋が、のあを狙っている。 秀が言うには、事故に見せ掛けて地下に閉じ込め、その間に魔力暴走させた悪魔を送り込んで殺す。そして、薬品を打ち込んで、天使として復活させる。そういう手筈だった。藍葉のあを閉じ込めて、殺す。それが、真尋から秀に下された命令だった。そう語った。 「でも、……悪魔、僕がこっちの階に連れ込んで、さっきちゃんと処理したんだよ。だって、……僕達友達でしょ……?」 秀は少し遠慮がちに、小さな声で呟くように言った。嘘をつき閉じ込めた事への罪悪感か、それとも当初は強がっていただけなのか、どちらにせよ、のあと秀の距離は何故か出会ってすぐよりも離れた。或いは、秀によって縮められたそれを、秀によってまた、離されたようだった。 「悪魔を道具とみなすような君の発言も、行動も気に食わないけど……まぁいいよ。根付いた意識は、そう簡単には消えないだろうからね」 夜宵が、秀に一歩近付いて、真下から顔を見上げた。一般的に、恐らく高身長に入るであろう秀と、低身長に入るであろう夜宵。あんなに見上げて首痛めないのかな、なんて、少し遠くでのあが一人余計な心配をしているうちに、二人の間ではそれなりに物騒な会話が繰り広げられていた。 「一度だけ。君に与えるチャンスは一度きりだよ、次は無い。次に私が違和感を感じたら、その時は私が君を殺そう」 「うん、十分。だって僕、のあちゃんが無事ならそれで良いから」 「へえ、友達だから? はたまた恋かな? 随分な執着だね」 夜宵の言葉に、「内緒」と秀が返した。その少し後、牢の中から不満気な溜息が聞こえた。 「やっっと話し終わったの? うるッさいんだけど、眠れやしない」 声の方を見れば、先程眠たそうに布団に入った瀬名が起き上がって、苛立ったように腕を組んでいた。「わすれてた……」と零れたのあの言葉に怒りがピークに達したのか、ようやくの眠りを邪魔された瀬名は小さく舌打ちをした。ここから出る鍵を探して欲しい、とお願いしている立場的に考えれば随分と偉そうなものではあるが、しかし今まで自力で動けず、冷たく硬い石の床で浅い眠りを繰り返すしか無かった彼の、数日、或いは数週間ぶりの柔らかく暖かな──勿論、お世辞にも質が良い、とは言えないのであろうが──布団での休息、と思えば、その怒りもまぁ最もと言えば最もであろう。そしてその目に睨まれれば、その場にいた誰しもは、そっと目を逸らすことしか出来なかった。 「早く出てって」 「は、はぁい……」 「ふん」と不機嫌な瀬名が、布団にぽす、と音を立てて横になる。彼の軽さ故か、勢いよく寝転がった割には小さな音しかしなかった。 最後に部屋を出たのあが、なんとなく、瀬名の方を振り返った。小学校低学年くらいの子供が、小さな手で薄い布団を抱いて、狭くて暗い石の牢獄の中で眠っている。 「……これが教会の中っていうなら、何の為の信仰だよ」 そう呟いたのあを、秀がちらりと見やって、そっと手を引いた。 「あの子、瀬名くん?」 部屋から出てしばらく歩くと、秀がぽつりとそう呟いた。「知り合い?」とのあが聞くと、秀はただ首を振って否定した。 「でも聞いたことあるよ。世継瀬名、……天使になれるはずだった子って」 秀の言葉に、誰か、何かを返す訳でもなくただ視線を向けた。それはまるで、その先の出方を伺っているかのようだった。 秀が続けるには、このフロアは信徒の間では「煉獄」と呼ばれているらしい。そして、悪魔への救済を行うこのフロアの中でも特に、あの牢は特殊なものらしかった。魔力暴走を起こした悪魔も捕えられるように、この辺りよりももっと、魔力を表に出せばすぐに掻き消えるように作ってある。牢に強く触れれば、電流が流れるようになっている、と。故に、あそこに捕らえられている、それ自体が脅威であるという証なのだと言った。 「分かってるよ、あの子はまだ小さくて、きっと十年も生きてないだろうね。でも、それならあんなに幼い子を、なんであそこに捕らえたの? 危ないからじゃないの? 天使になれるはずで、それなのに脅威って恐れられるようになったのは、なんで?」 「……何が言いたい訳? 秀」 歩みを進めていた秀の足が、ぴた、と止まった。彼よりもほんの少し先に進んだのあ達が、振り返って俯いたままの秀を見た。 「…………。怖いよ。怖かったんだよ、のあちゃんも見たでしょ? 魔力暴走を起こした悪魔は、脳も、皮膚も魔力が溶かして、その身体のある限り、ただ魔力の持つ攻撃性だけに従う化け物になる。教会が言う脅威は、……それだったよ」 或いは、それになりそうな予兆のある者だったと。少しの間を開けて、夜宵が一歩、秀に近付いた。「うん、そうだね」と。 「分かるよ。その点については同意しよう、申し訳ないけど、よく分かる」 その言葉に、のあが言い返そうと口を開くが、夜宵の細い人差し指がそれを制する。 「素性も分からない彼に十分に信頼を寄せてしまっているなら、藍葉、君は少し甘すぎかな」 夜宵の大きな目が、ほんの少しだけ細められた。真っ赤な瞳が、真っ直ぐにのあの目を見る。のあはほんの少し気圧されかけたが、すぐに夜宵の手を取って、小さな彼女を見下げた。 「素性も分からない、そういうのならあんた達だって同じだよ」 「そうだね。だから私は、私を信用しろとは言ってないでしょ、私も君を信用はしてない。これに関しては、お互い様ということだね」 のあの手を、夜宵は軽く振って払った。そして、「それでも」と続けた彼女の冷たい目は、秀を制した。 「私は、あんな幼い子を見捨てて保身に走るほど腐ってはいないよ。その点においては、信用してくれていい」 ふわりと、夜宵が二人を背にしてまた歩みを進める。秀もなにか言おうとしたが、しかしその言葉は飲み込んだようだった。 「人を信じられるのは、藍葉、君の長所だ、素晴らしいことだよ。だから、誰かを疑うのは私に任せるといい」 そう言った夜宵が振り向いて、にっこりと笑ってのあに手を差し出した。 「それに少なくとも、助けて貰った恩がある。だから、今、この場所で、私は君の味方であると誓うよ」 差し出された夜宵の手を、のあが握る。温かいその手は、人間と、何も変わらないように思えた。 戻る 次へ Up
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